学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

習慣への隷属

日課の効能

めちゃくちゃ楽しそうに生きている某友人から聞いた、筋トレ習慣化メソッドをパクっている。
曰く、「どんだけクソみたいに酔った飲み会の後でもできる最低限の単位を設定して、何が起きても必ずやる」とのこと。

おかげさまで、たぶん一か月弱くらいはプランクと英語リスニングが日課になっている。
前者は1分20秒を一回、後者は3分の同じ動画を英語字幕&字幕なしの二回というとてもシンプルなセットだ。
生憎下戸なので、実際に"クソみたいに酔う"ようなことはほとんどないが。
もちろん、余力ややる気があるのならばさらに追加でやればいい。まあだいたいは最低ノルマをクリアして終わりになる。

筋トレ&英語を合わせても10分にも満たないので、本当にやらないよりはマシ、という程度なのだが、これが意外と健康に寄与している気がする。

日々のハードルを具体的かつ最低レベルに落とすことで、寝る前にそれだけできていればトータルオッケー、というメンタルに持っていけているようだ。

習慣という枠にハメ込んでしまうことで脳死で物事を継続できる、というのはよく言われていることではあるけど、その効果に自覚的になれたのは初めてで、結構衝撃が大きい。

逆に、なぜ今までこれができなかったのか、というのが我が事ながら疑問なのだが……。
おそらくは”最低限”の見積もりが全然高かったんだろう。

なんのかんの意識高めに書いたが、まあ極論この”やってる感”はプラシーボで全く構わないと思う。
Youtube見るだけで10万円以上してる機械」とはよく言ったものだが、どうせ同じように従うならば、惰性よりは自分の決め事の方がいい。
たとえそれが無意味でも。