学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

なぜ内省に惹かれるのか

目の前のおじさんのヅラをはたき落としてみたい

最近、見られて痛いようなフォロワーも最早いない気がするし、このクソ赤裸々ブログを社交用Twitterアカウントにも晒してまおうか? という危険な衝動を覚えることがある。

外界とのやり取りが受信方向に偏りまくっていると、こっちからなんか働きかけてみたくなるみたいな動きなんだとおもう。

フォローしている大学時代の知人がnoteを始めたりしてるのが目に入るのも、「そろそろみんな、リア友の長文がTLに流れてきてもフラットに受け止める機運なん?」みたいな、確度低めの時代感覚に拍車をかけてよくない。

もし突然、「実は3~4年前からずーっとシコシコブログ書いてたんっすよ(笑)」とリンクを張り付けたらどうなるだろうか。

逆の立場なら、そんなに仲のいい人のモノでなくても流れでゴリゴリ読んじゃう気はする。

いろいろ環境や価値観にアップデートはあったけど、とりあえず、他人がどういうことを考えているのかに興味があるのはいまだに変わらないようだ。

世間話スキルが落ちている??

わざわざこの時期でも話をする相手となると、やはり必然的にそこそこ関係値の深い友人に限られる。

マジで話題がない。引くほど提供できるトピックが薄い。

「どんな感じよ?」「そーね、まあぼちぼちやな……」後者の返しを直近で何回繰り返したか。

時勢柄の話を持ち出したりもするが、そのニュースに本質的に興味のあるメンツはたいてい多くない(笑)ので、結局、いつのまにかニュースを話題にしているようで俺の自分語りに陥っていることが多い。猛省である。

意識的にこういう文章に吐き出すことで改善を試みているが、結果そこまで変わっているかと問われるとビミョー。

癖はなかなか治らない。

聴くも語るも

前段2つは何だったかといえば、要するにここ3年半くらいずーっと内省的な話が好きなまんまだということだ。

他人のこれまでの人生の歩みや価値観の変遷をじっくり聴くのも好きだし、俺が自分の話をひたすら語り散らかすのも好き。

なぜここまで人間の頭の中に興味があるのか?

たぶん、それをシェアすることでその人と信頼を醸成できるような気がしているんだと思う。

特に人の話を聴くことについては、その人がどういうことを考えながら今まで生活を送ってきたのか、ということを一部でも俺に明かしてくれるというだけで、ほんの少し自分が好きになれる気がする。

「そういう話って一回腹割って済ませちゃえば充分じゃないの?」と我ながら思ったが、経験上案外そうでもない。

というのも、自分についても他人についても、その時の会話でできる話はその時限定のスナップショットのようなもので、生活を積み重ねるにつれて価値観は少しずつ変化していく。

そんなに大きな変化でなかったとしても、その差分を知るのが俺にとっては楽しいっぽい。

論理的に考えるにはすこし眼精疲労がつらいので、乱暴&感覚的にまとめてしまった。しかも、1300字を費やしたにしては結論があんまりにも凡だ。

振り返ってみると、俺どんだけコミュニケーションに飢えてて、かつ人と仲良くなりたいのよ? と言わざるを得ない。ヤバい(笑)