ソーシャルディスタンス
原則リモートワーク、というのが弊社として打ち出され、上京した弟と事務的な会話をする以外の言葉を発する機会が少なくなった。
同時に、(どちらも考えて発しているつもりだが)自分が笑いながら吐く言葉は書き起こした瞬間に皮肉や陰気が際立ちがちで、「属性の割にSNSに向いていないな」と気づいた。
SNSについては、聞き手を確保する適性が薄いがために聞き手の存在があいまいで、おのずと抽象的/社会的/内省的なことしか書けなくなるのが悪いのだと思う。
最近思うのが、「2~3周回って、寡黙で、倫理感と共感性を発揮できる人間が一番イケてるのでは?」ということで、深入りするほどその像が遠のきそうでTwitterを控えている。
とはいえコミュ不足の時勢柄「なんか言葉を発したい欲」が溜まってくるもので、たまにブログでまとめて発散ができればいいなと思う。
このまま書き進めても自分が避けた話題の濃縮還元に陥りそうなので、焦点を外に向けたい。
最近は社会のジリ貧具合とは対照的にだんだん気候が良くなってきて、少し出歩くだけで爽やかな気分になれる。
それが高じて、買い出しのついでに好きなラジオを聞きながら大通りを30分ほど歩いて、飽きたらその道を帰ってくる、というようなことをしている。
ただ家路につながる大通りを往復しているだけなので、散歩にハマっていると言い張るには風情も発見もないけれど、自分が関係しようがないパーソナリティのしょうもない話を聞き流しながら、淡々と足を動かしているのが気持ちよくて意外と良い。
瞑想が上手くハマった時の感覚に近いのだと思う。
それを反響する相手や意義がどんどん少なくなって、濃いめの物語を読む元々の趣味が少ししんどくなってきたところなので、こういう気の保ち方が開拓できたのは嬉しい。