ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons』を読んだりした
時間の使い方
休憩時間や業務終了後に本を読むようになった。反比例してスマホを見る時間が減ってきているのがかなりいい。
どうせ情報を摂取するなら活字から読んでいった方がやってる感あって充実しているし、こういうノリで徐々に時間の使い方を良くしていきたい。
とは言ったものの、どういう時間の使い方がいいのか?というのは正直未だによくわからない。
スマホでSNS見ているよりは、読書の方が相対的によさそうだなくらいの所感だ。
何が良いのかはよくわからないけれど、よくないと感じられる時間を減らしていくことはできそう。
理解ってコスパ悪くね?
最近読む本も、こういうアプローチで主張を進めるものが多くなってきた気がする。「どうすべきかは言えないが、どうするべきでないかは確かだ」みたいな論調。
積極的な判断を下すには、自分なりの基準と同時に対象への理解が必要だ。
たとえば、二人の人間がケンカしていたとしてどちらが正しいのか? という疑問に対しては、そのケンカに至る経緯を一部始終把握していないと答えを出すことはできない。
なんにしても、こういう本を書く作家たちにとっても、そのコストがとても高い時代になってきたのかもしれない。
情報量多めの初耳の曲を聴きながら書いているので、集中力が持ってかれていつにもまして掴みどころのない文章になってはいるが、おととい読んだ『21 Lessons』にもこういうことが書いてあった気がする。
曰く、世界は人間が理解するには複雑になりすぎているので、グローバルな視点で価値判断を下せる者は誰もいなくなってしまったと。
上に挙げたように、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』とは違って現代・近未来にフォーカスしているのが本書。
社会学や国際関係論には全く明るくないので、著者の分析になるほど~とうなづきながら読み進めた。
あまり未来志向で物事を語るタイプの本を読まないので、著者流の未来像なんかもわりと興味深くて面白かった。
特に技術発展についてのところは、シンギュラリティあるよ派の主張の中では一番説得力があった気がする。そもそもあまり読んだことがないのでアレだけど(笑)
「何がいいかはわからないが、それがダメなことはわかる」
ただまあ個人的には、著者の一番の強みは過去作からも一貫した風刺のセンスだと思う。
あらゆるイデオロギーは虚構だ、というのはこれまた著者の一貫したスタンスではあったが、本書ではまさに解体作業といったテンションで、軒並み批判の切っ先を向けている。
序文で「グローバルな問題に立ち向かうには、部族や国家をまとめるための虚構は時代遅れだ」というスタート地点に立ったからだろうが、すごく入念に潰している(笑)
そういう論調って読み味が一辺倒になりがちな印象があるけれど、本書のボリューム感でそれを読み通させるのが、著者のブラックユーモアのセンスだ。
本書は「ディズニー、自由意思を信じられなくなる」など見出しのパンチも強いが、やっぱり宗教イジりが著者の真骨頂だと思う。
(女神転生のような)フィクションでみだりにその宗教を扱うと、原理主義者に目を付けられるみたいな都市伝説があったけれど、そういう世界線がリアルだったとすると、著者はすでにこの世にいない気がする。
それだけ舌鋒鋭く従来型のイデオロギーを解体してくれると、終盤では必然、著者独自のビジョンに注意が向くわけだが、そこは正直あまりハマらなかった。
個人的には、「著者の未来観に立ったとしても、何故その備えが妥当なのか?」というところに引っ掛かった(俺の読解力の問題かもしれない)のと、期待が高まっていた割には独創性に乏しかったような印象を受けてしまった。
「 批判するなら対案だせや」論は現実の生活でもよく耳にする(9割9分どこで飯食うかの話)が、こういうレイヤーの話に当てはめるのはやっぱりシビアなんだろうな。
そんな複雑性に満ちたこの世の中で、一つだけ確かなことがあるとするならば、「夜は電子機器の使用を控え、質のいい睡眠をとるのが正義だ」ということだ。
現在時刻23時56分。お後がよろしいようで。