品田遊『名称未設定ファイル』を読んだりした
俺得ライフログ
あまり深いこと考えずに、読んだら読んだ分だけインターネットに放流した方がPVとか読者とかあわよくば言及とかがあって面白いかな、と思い、フォーマットやボリュームにこだわらずブログに書きつけていきたいな~というモチベが湧いている。
それが継続的なのか否かみたいな予防線がもはや自動出力されそうな自分の癖に辟易(うまい)しているので、ここではあくまで、いまそういうモチベなんだということだけを言っておきたい。
誰に言っているのかといえば、読まれている方ではなく、もちろん俺の罪悪感に対してである。
アフィの1つも張ってないのにコンテンツ性のために響いた本に反応して、序文→要約→感想/考察→丸め文みたいな構造にのっとって書くのに疲れて、本来残せたはずの文章が残せなくなるのは本末転倒だなぁと感じる。
せっかく、指をばたつかせてるだけで仕上がる日記帳があるんだったら、活用すればいいんだ。
日記とかSNSとかカメラロールとかに一定の引力があるのは、だれしもかつての自分の姿に何かしらのおもしろみを感じられるからなんだろう。
実際に俺も土曜の昼前くらいに布団でスマホを延々スクロールすることがたまにあって、"mixi発掘ネタ"みたいな感じで巷で言われているよりは、自分の過去ログを好意的に楽しむことができている。
無意識のプライドが高すぎて、マジで見るに堪えないモノはすっ飛ばしているだけかもしれない。
とりあえず、いまこれを書いていてそこそこ楽しめているので、将来の俺にとってもそうだと思う。
『名称未設定ファイル』
そういう、散文的なゆるい衝動が先立って、それらが発散しないようにSF/現代風刺の串を刺してまとめあげたSS集、みたいな印象を受けたのが、今日読んだ『名称未設定ファイル』だった。
つまり、そんなに気張らずに楽しく書いたのかなという印象を受けた。商業出版を個人ブログと括ってしまった。
著者はオモコロのダ・ヴィンチ・恐山氏ということで、ネットメディアに明るくない自分でもコンテンツを見たことがあるくらいには、有名なインフルエンサー?らしい。なんかのツイートかブログを見て購入したので、奥付で知った。
実際、トゥルーマン・ショーwith匿名巨大掲示板、みたいな掌編はなにかを面白がって/楽しんでいないと出てこないアイデアだと思う。トゥルーマンの出産実況から息子のスレが立つくだりがお気に入りだ。
あーー、フォーマットにこだわらずに感想書くのめっちゃやりやすくてビビる~~。
あと好きだったのは、初っ端の『猫を持ち上げるな』で、ネットの濁流から距離を置いている"正しい現代人"然とした主人公が、まさに猫のきまぐれによって強制的にそこにおぼれそうになる構図がよかった。助けてくれた管理人の「自分はニュースに詳しくなくて」という一言で正気を取り戻したように見える流れも、ああそういうふうになるかもと妙な実感があった。
ほかにも、最後の短編もプロットだけだとケン・リュウ作品とかに出てきそうで、通してわりかし楽しく読めたんだけれど、一番記憶に鮮やかなのは『最後の日』だった。
ソシャゲとTwitterで時間を引き延ばすくらいしかやることのない大学生が群馬に帰省した1日の話で、特に山場があるようには感じられなかったのだが、なぜか印象的だった。
たぶん、俺が全力で避けて通りたい有様が描写されていたからだと思う。誤解を恐れずに言えば、大学で一番俺が冷笑していたタイプだ(実際にそういう人とオフラインで関わったわけではない←重要)。あえて発信しないだけで、なんなら今もそういう精神性は健在かもしれない。
じっとりとした自戒、という感情を一番引き出される媒体は俺にとって常に文章である。そういう独特の湿度を感じられるたびに、ああ俺はまだ、とりあえずはまだ大丈夫だ、という安心感を得られる。
これは、実際に『最後の日』を読んでいるときに即応的に感じた、というわけではなく、今書きながら考えたことだけれど。
あんまりこういう形で落とす予定じゃなかったのに、座りのいい一節がもう出てこない(笑)
そこそこの可塑性が常に許された豊かな平穏??
まあ、1時間で2000文字弱が書きあげられたということで、娯楽的コスパが今回で圧倒的に改善されたのはよかった。
昨日は生産性度外視の頭のひねりが充実感につながる、みたいなことを書いていた覚えがあるけれど、時間を食わずに持続的満足感を得られるならそれに越したことはない。
そういえば、住んでいる自治体の10万円引換券をついに提出できた。
なかなか届かなかったので、給付まで2~3週間という案内文の文言に一抹の不安は残るが、忘れたころに口座に10万円増えている、というのもなかなかよさそうな体験なので、いっそ積極的に頭から追い出しておくべきか。
今日のような感じで、そこそこに仕事をしながら同時並行で勉強し、休憩中に読み進めて少しずつ積読を削っていくような過ごし方をしばらく続けたい。
周期的な平穏に嫌気がさしたと書いて、舌の根も乾かぬうちに、それをポジティブに語って締めくくる、みたいなのも、フォーマット度外視の散文的でイケてるんじゃなかろうか?知らんけど。