学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』を読んだ

夏の終わりと夜半の蝉

社会人の夏の、なんと儚いことでしょうか。

梅雨明けとともに猛暑日のリレーが始まり、世間体を気遣いながら遊びに出かけてちょっと本を読んだかと思えばあっという間に盆休み明け。

そして、月曜日にこれを投稿するつもりがあれよあれよと日々が過ぎてもう日曜。盆明けのテンションと現在のテンションにギャップが生まれたせいで、下書きに残っていた導入部を現在進行形で書き直しているところです。

まあ、そんなことはいいんです。

今回紹介したい本の何がいいかというと、ここ30年間日本人を取り巻き続ける労働の呪縛を薄める一助になりうるところです。

今まさにこれを書いている自分も「マジで最近の仕事、進捗悪くてダルいし辛い」「もう日曜16時なのはバグ」と例外なく呪われちゃってるんですが、読む前ほどそのしがらみは強くない気がします。

で、それがどんな本かというと、デヴィット・グレーバー著『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』です。

どうでしょう、この挑発的なタイトル。夏季休暇明けのしんどさと戦うサラリーマンたちに、一端の活力を与えてくれる気がしませんか。

 

"ブルシット・ジョブ"現象

では、この過激な本が実際には何を論じているのか紹介していきたいと思います。

まずは、序章で語られている、本書執筆にいたる前から著者が抱えていたという問題意識を概観するのが良いでしょう。

 

著者曰く、本書の執筆のきっかけは、あるWebマガジンへ寄稿した小論が尋常ではない反響を呼んだことにあるとのこと。

それを勝手にまとめると以下のようになります。

「テクノロジーの発展によって先進国では"週20時間労働"のユートピアが達成される、という20世紀の予測が実現しなかったのは、政治的理由によって無益で何の意味もない仕事が際限なく生み出され、多くの人がそのような仕事に囚われているからである

このラディカルな主張が提示する"ブルシット・ジョブ"という概念は著者も予想し得なかった大波へ繋がり、ついにはイギリスでの民間世論調査にまで発展したようで、その結果はある種、とても痛快なものでした。

たとえば、あなたの仕事は「世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対しては、おどろくべきことに3分の1以上――37%――が、していないと回答したのである (一方、していると回答したのは50%で、わからないと回答したのが13%だった)。(本書では漢数字表記)

「ある論考の仮説がその受容によって裏付けられることがあるとすれば、まさにこの事例がそうである」

……上記のような世間の動きを受けての著者の一節ですが、オシャレな文ですね(笑)

このようにして自らの見立ての正しさを確信した著者が、「"ブルシット・ジョブ現象"についてのより広範かつ本格的な分析を目指した書籍」というのが、本書の位置づけになります。

 

そして、上記の前提を共有したのち、本編では以下の全7章にかけて"ブルシット・ジョブ"に関する分析が行われます。

  1. ブルシット・ジョブとはなにか?
  2. どんな種類のブルシット・ジョブがあるのか?
  3. なぜ、ブルシットジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?(精神的暴力について、第一部)
  4. 同上(精神的暴力について、第二部)
  5. なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?
  6. なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?
  7. ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対してなにをなしうるのか?

ラフに要約してみると、1~4章がブルシット・ジョブそれ自体の深堀り、5~7章が社会問題としての原因分析、とまとめられるでしょう。

まず1章では、ブルシット・ジョブが以下のように定義づけられます。

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

続く2章はその具体例、3~4章はそれらが人間の精神にとってどれほど有害であるかという主張です。

ブルシット・ジョブの陰惨さについて語り尽くした後、本書はその原因の探求に移ります。

5~6章では、主にそれが蔓延するに至った社会的・経済的な流れと、人々がそんな(クソみたいな)労働を受け入れてしまうようになった歴史的な流れが論じられます。

終章となる7章では、章題の通り、現在の先進国政治と絡めた考察が行われた後、本書で論じられた状況に対処するための一例として、ベーシック・インカム政策が紹介されます。

「労働は美徳の源泉である」??

以上、ざっくりした本書の流れです。

この本、著者の分析が依拠している言説の時系列的にも分野的にもいかんせんボリューミーで、正直かなり骨が折れました。

訳者の方もあとがきで嘆いていたほどで、読み手としては少し安心しました(笑)

 

ただ、章ごとの具体的な論考はとても明晰です。

ブルシット・ジョブという事象を分析する過程を通して、なんかよくわからないまんま常識とされている価値観や枠組みが、いったいどこから蔓延ってしまったのかという、"労働"の周辺にある漠然とした疑問や嫌悪に説明を与えてくれます。

その点では個人的に、以下の2つの主張が刺さりましたね(論証は割愛……)。

  • 週5で8時間のスタイルは生物学的/歴史的に見て人間の自然なスタイルに矛盾している。
  • 多くの人が信じている"市場原理による効率化"なんて、実際には精々工場の機械化程度にしか適用されていない。ホワイトカラーではむしろ無駄なヒエラルキーが増殖し、太鼓持ちのようなブルシット・ジョブが増えている。

こうした、せいぜいグチ程度にしか昇華できなかった絶妙な違和感を、過去の研究の文献や統計的データを駆使して真正面から根拠づけてくれることで、陳腐な表現ですが、「自分は間違っていなかったんだな」と安心できました。

そして、このような分析を知識として知っておくだけで、自分が働くことについて悩みすぎてしまったとき、それは大事な逃げ道として役立つでしょう。

 

最後になりますが、このように「最近クソみたいな仕事多くね? なんなん?」という切り口から"労働"を体系的に相対化してくれるという本は今まで見たことがなく、とても面白かったです。

ハードルの高さを加味してもなお、現代日本の大多数のサラリーマンは本書に触れてみてもいいんじゃないかなと。ググってみるとよくできた要約もあるみたいですしね。

 

というわけで、ちょうどいいテンションで、明日からもお仕事頑張りましょう(笑)