学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

アウェー感

住めば都、郷に入れば郷に従え、朱に交われば赤くなる、等々、環境への順応に言及することわざは数多くある。

田舎だなんだと悪態を吐きながらも、実家、大学、職場のある街に安心感を覚えるようになっていたなんて経験はよくある話だ。

裏から言えば。

駅に降り立って、妙に浮ついて地に足のつかない感覚。ラーメンに漂う油みたいに、どう足掻いても溶け込みきれない感覚。もっと悪い時には純粋で本能的な不安感。

こんな感覚に襲われる経験も、一般的に少なくはないはずだ。

スポーツ観戦のアウェー状態とはまた別種だろう。それはサポーター(場合によってはフーリガン)達による人為的なモノだ。

しかし、街の空気に馴染めない状態。その原因は自分の内側が直接生み出す違和感だ。不慣れで見知らぬ環境への不安は、場所からではなく自分の心から発される。

下手な比喩まで使ってテメェは何を当たり前のことをほざきやがって、と罵声が聞こえるが、勘弁願いたい。

僕が言及したいのは、その感覚そのものというより、街毎に相性というか、色というか、順応しやすさみたいなモノが確固としてあるのではないか、という疑問だ。

都会だとか田舎だとか観光地だとか、その程度のレベルの色の違いであれば、誰だって当たり前に感じられるだろうし、むしろなんの違和感も覚えないのはかなりのツワモノだと言える。

僕は就活の佳境を迎えるまで、都会は結局どこも変わらないものだと考えていた。「東京は結局博多や梅田や名古屋や仙台や札幌が沢山繋がってるような街だ」なんて話はよく耳にするし、僕も漠然とそう思っていた。

ただ、最近そうでもないなと思ったきっかけが、上述したような違和感だということだ。

ここからはもう完全に、ポエムすら脱してただの分かりにくい主観に陥るのだが、訪れる頻度や距離感はほぼ変わらないのに、八重洲や銀座なんかと比べて丸の内に馴染めない。

色で言うなら、丸の内は清潔な白、八重洲は青か薄紫、銀座はグレー。

外資系企業もいるし、日系大手もいるし、商業ビルもあるし、どこも都市化の度合いはそう違わない気がするのにこのような感覚を覚えるのはなぜだろうか。それともこれは、所詮若輩の就活生の視点に過ぎず、この辺の企業勤めが決まればどこも同じに見えてくるのだろうか。

なにぶん、僕は土地にこだわりなく生きてきたタチの人間なので、この感覚に答えを出すのは難しそうである。投げっぱなしではあるが筆を置きたい。やはりアウトプットの場があるとは良いもので、思考を出力しつづけていたら気持ちが落ち着いてきた。

朝っぱらからだらだらと書き連ね最終的に筆を投げておきながら、つまり何が言いたかったのかというと。

これから、丸の内で行われる人事面接が、果てしなく、ダルい。

おはようございます。