学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

書評『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』山口周

「優れた意思決定」の多くが、直感や感性によって主導されていたという事実によって私が伝えようとしているのは、決して「論理や理性をないがしろにしていい」ということではなく、「論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある」ということです。(本文より)

 

リーマンの端くれとして会社での生き方を考えるようになってから、山口周氏の著作に非常に考えさせられるところが多かったので、リハビリがてらに感想を書きたい。

著者の山口周氏は、慶應で哲学・美術史を専攻した後、電通、BCGを経てヘイコンサルティンググループに勤務しており、主に組織コンサルに携わっている、らしい。リベラルアーツの含蓄を持ったイケイケのコンサルタントといった感じか。

では、早速内容の要約に入ろう。

 

主題:なぜ「経営とアート」なのか?

序章、著者が言うには、近年グローバル企業では経営人材に対して「アート」の知見を養わせようとしているトレンドがあるという。

なぜ、経営とアートなのか?

多くの就活経験者なら、民間企業は「1にコミュ力、2にロジカル、3,4が無くて、5に経歴」といった要素で人材を選別するのが当たり前だと納得しているだろう。ここに「弾ける曲」「描ける絵」だなんて選別基準は現れない。

そして、人材選別基準が上の通りであるなら、経営に求められる意思決定の性質も、当然同じように客観性・論理的整合性を追求したものになるはずである。それこそ論理的に考えて、「アート」の素養は経営とは畑違いなのではないだろうか?

 

この違和感に対して著者は、以下の三つの要因から、もはやロジカル偏重の企業活動は限界を迎えており、その企業なりの「正しい、良い、美しい」といった行動規範、つまり内在化された「美意識」が求められていると主張する。それこそが、世界のエリートが”審美眼”を鍛える理由だというのである。

 

1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界

2.世界中の市場が「自己実現的消費」に向かいつつあること

3.環境変化にルールの制定が追いつかない状況

 

それぞれについて補足していこう。

1→ロジカルシンキングの限界

・複雑・予測不可能な情勢の中で、論理的に正しい意思決定に執着しても「情報が足りずに決められない」という停滞に陥りやすい。

・現在の市場では、ロジカルに「正解」を出せる人材はもはやありふれているため、それのみに頼った意思決定では企業としての差別化ができなくなった。

2→消費者の動機の変化

・世界がある程度豊かになり、あらゆるサービスや製品にファッション的側面が求められつつある。

3→市場とルールの時間的ギャップ

・いわゆるコンプラの問題。技術などの発展に法律が追いつかない時代だが、明文化されたルールがない市場であればこそ、内部の倫理で営業活動を規律することが必要になる。なぜなら、グレーゾーンを追求して倫理を踏み外すことは、短期的には儲かっても長期的には損(ex.DeNAWELQなど)。

 

感想・考察

こうした視点から、ビジネスマンが美意識を養う必要性を論じるのが本作である。具体的なトレーニングの方法はわりかし一般的なので省いてもいいだろう。(哲学・文学を用いてそれが内在する批判的&相対的視点や思考プロセスを養う、絵画を用いて素直かつ鋭敏な観察眼を養う、など。)

 

個人的には、この論理偏重への警鐘を鳴らしている部分は非常に納得感や新鮮味があったのだけど、「じゃあその美意識をどう養うの?」という終章のフェーズが、期待感が高かった分少し残念だった気がする

特に、終章序盤に「アートがサイエンスを育む」と銘打たれた節で、科学的業績の良さと芸術的素養の高さの相関関係を主旨の補論として引っ張ってきたとこがある。

しかし、この補強は少々安易すぎる気がする。いわゆる文化資本という概念で、芸術的素養を養えるような裕福な家庭環境がその人物の成功を助けただけなのでは?というツッコミが当然入ってくるからだ。(ヴァイオリンを弾くことが許されているスラム街の少年はいるのだろうか?と考えてみて欲しい。)

著者自身、この関係がどういうメカニズムかは不明だと留保してはいるけれど、ここの片手落ち感でそれまでの納得感、ワクワク感の勢いが少し削がれた気がする。

また、方法論そのものの部分についても、それ以前の章で出てくるような「良い意思決定」の典型例と、その方法が本当につながるのか?というところで少し疑いが残ってしまった。まあ、アートや美意識という概念の性質自体が属人的なものだから、そこの妥当感はある種仕方ないかもしれない。

 

とはいえ、要旨についての納得感は非常に高かったし、「個人の中に倫理的・美的な行動規範を持て」というメッセージは、自分の最近の関心に対して背中を押してくれる主張でもあり、素直に読んで面白かった本だった。

とても読みやすくて含蓄深いので、組織論やリーダーシップについて関心がある方におすすめです。

 

 

20分間でキャリアについて本気出して考えてみた

ある本に影響されて、久々にノンストップライティングをやってみようと思う。

あんまりにも研修が長くて閉塞感を覚えていたので、長期的な視野を意識することでストレス解消にもなるんじゃなかろうか。

 

タイマースタート

ひとつのトピックについて何かを書こうと思って時間計測をするのは初めてだ。

自分の価値観とか、崇高な目標。就活機の自己分析を経ても、結局俺はそれをうまい形で言語化することはできなかった。まして、利他的な形?

利他的目標と利己的目標が合致したところに強さは生まれる。WillCanMustのフレームワークの話と一緒だ。自分の意思と需要が上手くマッチングしたところが活躍の場で、適性があれば最高。

そんな話は分かっているけれど、いざ自分でそれを見出すとしたらどうだろう。ブレスト?

 

現会社で出世。ぶっちゃけ魅力を感じない。収入とかやってることの規模感とかを考えたらまあ悪くはないんだけど、そもそもプロパーの役員就任者は存在しないし、会社そのもののビジョンに強く共感できる気は今のところしない。もう少しエゴが収まるか満たされるかしたら本気でそれに共感できる日も来るのかもしれないけど。マズローの欲求階層的な話か?

いずれにせよ、Will、Can、Mustの枠組みからしたらあんまりいい選択肢ではなさそうだ。

 

第二案。今の特殊な研修の状況を活かしてエンジニアに転身。これは短期的にはわりと興味を持てる。なにより、現状の楽しさと(大体は)地続きの仕事だろうと期待できる。

大学の授業や、自分で買って読んだ哲学書その他、また、今の開発研修にしてもそうだけれど、たぶん新しいことを体系的に学んで自分がアップデートされていく感覚が好きなんだと思う。

新しいことを学び続けるのが好き。ある側面から見たら、ガリ勉の頭でっかちという印象も拭えない。今のところ、自分の属人的なスキル・人格の拡張になんだかんだ寄与しているはずなので、ただの頭でっかちに堕ちてはいないと信じたい。自己評価できるもんじゃないけど。

まあ、そういう文脈で行くと、エンジニアルートはわりと筋がいい気もする。自分のキャリアを閉ざさないためには必然的に日々是勉強って感じになるはずだから。

打算的に考えても、昨今のITバブル的景気の中で一芸持っているのは悪くない。会社に潰されても(もしくは勝手に自重で潰れても)、陳腐化しないだけのITスキルがあれば格段に敗者復活戦にエントリーしやすい。

第二案の問題点としては、やっぱりパッパラパーの未経験人材であることだろう。ぶっちゃけ弊社の研修チームリーダー(人事)は、ビジネス系採用の人間を開発Divにブチ込むのは乗り気じゃないっぽい。まあそりゃそうだろう。

もう一個の問題点としては、絶対的にプログラミングに面白み、楽しさを感じて没入しているわけではないってとこだと思う。

好きこそ物の上手なれと巷には言うけれど、これは好きでもなければあるひとつの物事のエキスパートにはなれないってことの裏返しな気がしている。経験則的に。

そんな批判的な目を自分に向けると、まだ決まってもないうちから意欲が萎えてくる。自分の思考回路を言語化するのが目的だけど、自分で自分の杭をぶったたいてもいいことないだろう。思考回路のメタ認知をやりつつ生産的な思考に没入するのが、いかに難しいかわかってきた。

 

まあ、言うほど好きじゃないなんてことを言ってしまえば、今のところ世の中の物事大体全部それに当てはまってしまう気がする。

開発研修でPG組んでるのも、本を読むのもブログを書くのも、結局世界の事象の中で相対的に好きってだけに過ぎないんじゃないか。わからない。経験の幅が狭い。趣味と仕事を混同している気がする。

でも、趣味と仕事を全て完全に分離してしまったら、まるで仕事中は私人格がないみたいだ。それは会社の奴隷に自分を貶めてしまっている気がする。どうせ会社に所属しないと今のところやっていけないのなら、会社に出勤している時間もまっとうに充実していると言い切りたい。

この「どうせ」という文言が付いている時点で、真っ当なモチベーションではない気がする。自己正当化というか、認知の歪みが生じていそうだ。深淵に触れそうだしこの辺への言及はやめておこう。

 

本題。第三案。ビジネス系のDivでキャリアを積み、転職。

 

今、この上の一行を書いて思ったけど、最初の問題設定からズレ過ぎた。

こういう類のキャリア戦略なんて、偶然という台風に突然ぶっ飛ばされるのが常だ。

 

もっと本質的な、長期的な人生の歩み方を軽くでいいから意識したい。中期的、長期的目標を失った人間は、そのうち怠惰に飲まれて時間が止まる。週5週2の機械的なサイクルを繰り返す社会人ならなおさらだ。

自分の欲求。なんだろう。無くね?

見込み残業代でぼやかされたちょびっと高い初任給のおかげで、今のところ生活には不自由していない。家族も健在。強烈に達成したいことなんて思いつかない。官僚を目指していた時期もあったけれど、たぶんあれはホントの意味での「滅私奉公」で、自分にはそういう利他性は望めそうにもない。家庭でも持つようになればその類の奉仕精神も生まれる予定があるのかもしれないけど、そんなのは今のところ蜃気楼みたいな話だ。

 

とりあえず、現状の視野と経験ではどん詰まりだってことがわかって御の字ってことにしておこう。

自堕落・享楽的に生きる才能が望めない程度には真面目に生まれてしまったっぽいので、どんだけキショくても陰キャ臭くても青臭くてもこういう試行錯誤をやってくしかない。

 

タイマーストップ

ざっくり推敲したけれど、これほぼガチの書きっぱなし文章だ。

改めて読み返すと、恥ずかしげもなくブログでこれをやれる自己顕示欲とメンタルの強さに我ながら拍手したくなった。結局投稿するんだけど(笑)

社会人2ヶ月目 所感

お久しぶりです。

新年度も二ヵ月が経過し、平成最後の夏とやらが眼前に迫っている時分ですが、皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。

自分は最近KindlePaperwhiteを購入してテンションがぶち上がったり、映画『リズと青い鳥』を4回見に行って泣いたりしていました。

あとは基本、家と会社の往復をしながら、同期の飲み会スタンスにビビったり研修カリキュラムを胃カメラの如くぶち込まれたりしています。

 

こういう久々投稿のエントリは、だいたい投稿できなかった理由の列挙から入ってるパターンが多いような気がする。そしてだいたいのサイトでは、そこからさらに更新スパンが伸びていく印象です。

ので、あえて言及せず、ぬるっと書き始めてしまおうと思います。

 

入社して二ヶ月が立ちました。

卒業し、某社に入社してすでに2ヶ月が経過したようです。

現在は未だに研修中の身であり、良くも悪くも高校時代のような雰囲気の中、毎日定時上がりを謳歌しています。

ふつーに開示されてましたが、どうも弊社、今年から研修カリキュラムを抜本的に変更したようで異例の内容・長さの研修となっており、人事の方々はまさに半年前倒しの師走の様相です。

 

就活中は、きたる社会人生活(というよりは裏にある労働市場?)に対してボロクソに愚痴を吐いておりましたが、いざそれを迎えてみると、否が応でも生活が”労働”に向かって集約・体系化されて、非常にメリハリのある健康的な生活を送っています。

このライフサイクルを好意的に捉えられているのも研修中の気楽さゆえなんだろうな、とは俯瞰しつつも、人間、やはり暇に押しつぶされるよりやる事がはっきりしている方がラクかもしれません。

 

しかしまあ、生活がリズミカルすぎるのもある種考えもので、こうしてふと休日の間隙に手持ち無沙汰になると、将来的展望に閉塞感を覚えてしまったりもするわけです。

おそらくこれも、多少内省的な日本人ならばもれなくキャッチしてしまう不快感なのでしょう。つまりは構造的な問題であり、国内の自己啓発本のテーマがウン十年変わらない理由がうかがえます。

 

未来は予測不可能な形で変動し続け、一個人としての自分の人生に刺激的に関わってくるはずだという、ジェットコースターの行列に並ぶ客のような人生観。

正直なところ、キャリアとかいう概念を意識しだしてから、この受動的な視点が拭えぬままヌルヌル来てしまっているなあという感覚があります。

「未来は自分で切り開くんだ!予測じゃねえ、創造だよ!!」みたなパッションを身にまとう方々も世の中には少なくない数いるっぽいですが…。たぶん自分は比較的、世界に対しての期待値が低いのでしょう。

しかし、自分はすでに6・3・3・4年の人生エスカレーターを登りきってしまい、ここからのステージでは、階段に自分から足を踏み出すしか上へ進んでいく方法はないのだろう。そういう焦燥が肌をチリチリと焼くようになってしまいました。

 

 

とりとめのない文章になってしまいましたが、最近はそんなことを考えながら会社に通う日々です。ここまで言語化してはいませんでしたが。

ともあれ、現状の自分をある程度俯瞰できる状態で、その時の心境をこうして書き残しておくのはきっと悪いことではないでしょう。

目下研修で使っているのですが、まさにGitHub的なセルフマネジメントってことにしておきます。

 

なにかのご縁でこちらをご覧になった方々につきましては、ぼくが潰されないよう応援していてくだされば幸いです。

 

書評:『イシューからはじめよ』

「根性に逃げるな」(本文より)

 

いかに社会人二回目の月曜日を迎えようかと気構えながら、日曜の夜に書いています。

昨日の今日でビジネス本の書評記事なんて、意識が高いというより浮き足立ってるって感じですが、絶望しているよりはきっと健全だろうし、まあいいんじゃないかな。

 

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概要

さて、今回読んだのは『イシューからはじめよ』という問題解決手法の本です。

著者の安宅氏は東大・生物化学修士、イェール大・脳神経科学博士でありながら、マッキンゼーでもキャリアを積み、現職ではYahooの経営企画担当という猛者。肩書の暴力。

そんな著者が、戦略コンサルタント脳科学者としての知見を活かし、「会社や大学において質の高いアウトプットを出すには、どのように問題に取り組むべきか?」をまとめたのが本書です。

 

主旨

本書中盤はがっつり具体的手法が書いてありますが、なにせ自分はまともな仕事も研究もやったことがないので、ぶっちゃけ理解度は薄いです。

なので、今回は本書全体に一貫して現れている前提の考え方みたいなのが紹介できればと思います。

 

・仕事の質を左右するのは「課題を上手く解くこと」ではなく「重要な問題、すなわちイシューを見極めること」

著者は、研究や仕事において成果の価値を規定するのは、「その問題の重要性」と「問題への解の質」の掛け合わせだが、多くの人は後者にしか目が向かないと言います。

例えるなら、どれだけ簡潔明瞭で優れたパワポを作ってもテーマが的外れなら無意味、ということでしょうか。

転じて、仕事でも研究でも、まず取り組む問題の策定が先立つ以上、何よりも先に重要な問題を見極める力を養うべきだとされています。

数撃てば当たるの精神でがむしゃらに取り組むのは、力も上がらずいたずらに現場を食い荒らす「犬の道」だとまで言っていますが、面白い比喩ですね(笑)

 

・問題をイシューたらしめる要素は、本質的な選択肢であること、深い仮説があること、解くことができる問題であることの3つである

上述から、「じゃあイシューってなんやねん」という疑問がおのずと湧き上がりますが、著者はこのように説明しています。

各々説明すると、1つ目は、その問題の結論が大きな影響力を持つこと。

2つ目は、設問が、多少強引でもスタンスを取った仮説であること。例えば、「~の市場規模がどうなっているか?」ではなく「~の市場規模は縮小しつつあるのではないか?」と表現すること。

3つ目はそのまま、現状の環境、スキル、手法で解決することができるものであること。

これら3要素を備えた「重要な問題」こそがイシューであり、ビジネスマンや研究者が見極めるべきモノだと。

 

 ・必ず期待された以上の結果を出すという、自分の中のシビアさが大前提。労働時間や努力の大小は仕事の本質ではない。

そもそも本書で紹介する問題解決手法は、こうした仕事に対するある種の積極性というか、貪欲さのようなものがないと機能しないと著者は言います。

誤解を招きそうなので付記すると、冒頭引用部の通り著者は根性論を否定しています。

 

感想

ざっくりした紹介でしたが、具体的な問題分析以外の部分は上のようにまとめられると思います。

 

個人的には3つ目のトピックがいろいろ考えされられました。

 

こうした「意識の高さ」的なものをチラつかせられると条件反射的に中指立てたい人って多いと思います。どっちかというと自分もその人種なんですが(笑)

ただ、ブラック企業の根性論なんかとはまったく別だって前提で、結果に対して貪欲さがある人間とそうでない人間でどちらが良い結果を出しがちかというと、そりゃ当たり前に前者なんですよね。

昨今の情勢を鑑みると、仕事の文脈だからこそこういう姿勢に拒否反応が出がちなのかもしれません。

でも結局部活やら趣味やらでも普遍的に言えることじゃないかなと思います。

なんつーか、自分の中だけでもその辺の中二病」から脱却しなきゃと身につまされるような圧のある本でした。

 

とりあえず、明日からの新卒研修2週目もそんな感じでまた頑張っていきたいと思います。

学生やめました

もとい、就職しました

新年度で忙殺されており、久々の投稿となります。

今回はいわゆる卒業エントリってやつです。(もはや関東ではさくらに緑が混じり、周回遅れで旬を逃した感が漂いますが……)

 

先月末に東北大学を卒業して学位をもらい、学生の身分を喪失、もとい会社員の身分を獲得しました。

このブログも、過度に色を出すのが恥ずかしくて『学生読書日誌』と題していたのですが、新しいネーミングをどうしようかが目下の些末な考え事です。

社会人読書日誌だとゴロが悪いし、社名を出すのはコンプラが怖い(自己顕示欲に負けたら名前を出し始めるかもしれない笑)

 

まあそんな話はいいとして、とりあえず何とか四年間まともに学生を全うし、無事に就職先で働けていることに安堵の気持ちでいっぱいです。

 

度々醜態をさらけ出す羽目に陥りながらも、ひっくるめていい大学生活だったといえるのは、ひとえに周りの人々のおかげだと思います。家族と友人に切に感謝。

また、こうして周囲のありがたみをフラットに受け容れ、素直に享受できるようになったことそれ自体も、大学という場で自由に生きたことによる成長の一部なのかなとも。

入学してから卒業まで、講義やサークル、日々の生活もろもろ全てを通じて、精神性・能力ともに以前よりましな自分になれたんじゃないでしょうか。

 

良い学位を獲得し、今後も会いたいと思える友人に恵まれ、自己の成長まで実感できれば、一般的な大学生として言うことないんじゃないかな。

東北大学入ってよかったです。

 

 

ブログの方も、飽き性の自分が1年3か月も続けられる程度には相性いいっぽいので、なんとか続けられるように社会人生活やっていければと思っています。

 

 

卒業エントリとか柄じゃないけれどやってしまった。

研修初週が終わりまだ先は長いけれど、とりあえず明日からは英語リスニングを始めようと思うんで、ささやかに応援してくだされば幸いです笑

退屈を打倒したい

組曲『惑星』を聞きながしながらキーボードを叩いている。ジュピター以降の部分が全部似たような曲に聞こえて識別できねぇ。

自分語りは半ばライティングマラソンみたいな感じで、他人に読みやすく感じてもらいたいとか、論理の構成を整えないといけないとかいう緊張感が皆無なので、こういう深夜に突発的にやりたくなる。

 

さて、目下の課題が退屈である。

より具体的には、何もする気が起きず、対して面白くもないゲーム実況を垂れながしながら煙草を吸う以外の活動ができなくなる状態を引き起こす感情のことだ。

 

ある本では、ハイデガーの主張を引き合いに出して、人間の人生の本質は、死ぬまで続く退屈しのぎであると書かれていた。

良かれ悪しかれ、人生とはなにかに没頭している、とらわれている状態と、退屈している状態の二つを行き来しているのだという。

そこでの記述が正しいのであれば、退屈が人生のデフォルトの状態で、そこをベースに好調、不調の波があるということになる。

 

しかし、退屈というとどことなくマイナスな雰囲気が漂っているし、実際辛い。もう少し穏やかでもいいんじゃね?と思わないでもない。

たとえばゲームなら、「デフォルト」=「体力満タンでバフもデバフもついていない」状態を言うのだろうが、人生のデフォルトは、そこに永続の状態異常がかけられてる感じだ。

 

 

まあ、仕様を嘆いても仕方がないところはある。問題は、永続毒状態のくせにリセットできないRPGの具体的な攻略法だ。

上記の定義からすると、なにかに集中している状態であれば、この、心を焦りと虚無感でゴリゴリ削るような退屈状態からおのずと離脱できるんだろう。

 

つまりは、集中の感度を高い状態に保つこと。集中が可能なだけの体力をキープすること。知的好奇心を広く保つこと。

 

……早寝早起きかな?

 

 

 

最強のリテラシー教本『知的複眼思考法』

「自分で考えろ」というのはやさしい。「自分で考える力を身につけよう」というだけなら、誰にでもいえる。

そういって考える力がつくと思っている人々は、どれだけ考える力を持っているのか。(本文より)

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はい。

引用部分はまえがきからとったのですが、挑戦的でいいですね。

 

というわけで今回は『知的複眼思考法』の紹介をしたいと思います。

最近読んだ下のブログ記事で紹介されており、そこでの推され方がすごかったので手に取ってみました。

readingmonkey.blog45.fc2.com

では、紹介に入っていきましょう。

 

あらすじ

まえがきで筆者が狙いを提示しているのですが、ここでの「知的複眼思考法」とは、ステレオタイプに短絡的に左右されるのではなく、自分の頭で物事を考えることだといいます。

そして、本書はそれを支える基礎的なトレーニング法を筆者が紹介したものです。

以下のように4章立ての構造で、実践を挟みつつ順を追って書かれています。

  1. 創造的読書で思考力を鍛える
  2. 考えるための作文技法
  3. 問いのたて方と展開のしかた
  4. 複眼思考を身につける

この記事では、各章ごとに有用そうなトピックを少し抜粋して書いていこうと思います。

 

1章:批判的読書のコツについて

1章で書かれているのは、複眼思考を体得する(情報を多面的な視点で解釈できるようになる)ための読書技法です。

ここで主に語られているのは、著者と対等な視点で本を読むこと

なぜなら活字はそもそも、著者が表現したい内容を書くにあたって取捨選択を繰り返した結果の産物であり、無謬の完成品ではないからです。

だからこそ過剰にありがたがったりする必要はなく、読みながら内容について考えていくことが、思考力の養成には肝要だといいます。

 

具体的なコツとしては以下の4つ。

  1. 鵜呑みにしない(内容をまるごと信じたりしない)
  2. 著者の目的を考える(誰に向けて書かれた、どんな種類の本なのか?)
  3. 論理展開の正しさを考える(著者の主観的意見とデータ、根拠を区別する)
  4. 著者が依拠している前提を探る(言葉遣いや設問から、著者の中の”常識”を推測する)

 

2章:論理的文章を書く方法

2章では、1章の視点を自分自身に向けて、論理的で説得力のある文章を書く方法について触れられています。

なぜ作文技法が問題にされるかというと、著者曰く「書く事は、自分の考えを明晰に表現することにほかならない」から。

その前提として、どんな優れた考えも、伝わるように表現できなければ無いものと同じだ、という主張も述べられています。

 

ここでは、実際に気をつけるべき点として、主に以下のことが挙げられます。

・結論→理由付けの構成

・論点が変わるときは読者に伝える

・筆者の判断の根拠がなんなのかを示す

・接続語の使い方に気を配る

基本的ですが、これらを徹底することで読みやすく説得的な文章になるわけですね。

また、書き方のトレーニング技法としては「ある主張に対して複数の立場からの反論を書いてみること」が、多面的視点を体感できる点で有用だといいます。

 

3章:何を問題として取り上げるべきか?

ここの内容は結構アカデミック、ビジネス成分が強いです。

というのも、何かについて考える際に、一体どんな設問から始めて考察していけばいいか?という点に関するコツを書いた章になっているからです。

 

ここでは、生活の中での「素朴な疑問」を、「解答を与えることを目的とした問い」の形に昇華することが最初の一歩だとされます。

そして問いの形としては、調べてわかってしまうような「~はどうなっているのか?」ではなく、「なぜ~なのか?」と因果関係を追求する設問がベター。理由を問題にすることで、自分で仮説を設定する、つまり考える必要が生じるからです。

こうして「なぜ」を追求することで、”収まりの良い”ステレオタイプで思考停止せず、自分で問題について考えてみる習慣がつくのがメリットです。

 

4章:複眼思考、3つの具体例

ここでは、著者が複眼思考とする3つの物事への考え方が具体的に紹介されています。

  1. 関係論的な考え方
  2. 逆説的な考え方
  3. メタ的な考え方

1について、関係論的思考とはある物事を、2つ以上の要素が相互に関連しているものだと考えることです。まさに著者のいう複眼ですね。

本文中では過労死の概念を取り上げてこれを説明しています。過労死は従来、労働者側の健康管理の問題と一義的に捉えられていましたが、それに加え職場環境や労働内容・時間が要因として存在するのは、今や自明のことです。

物事の性質を、安易に単一の要素に帰着させずに、ただしく要因を分解・把握することがここでの目的です。

 

2について、逆説的思考とは、物事の意図せざる結果、「~にもかかわらず」という構造に着目することです。(具体的説明は難しいので、ここは本書を読んでください笑)

これによって、事象の影響関係を常識に縛られず幅広く捉えることが可能になります。

 

3について、メタ的思考法とは、「問いを立てること」そのものについて問い直すことです。

具体的には、「そもそもこれはなぜ問題なのか?」「この問題で誰に利害が生じるか?」「解決された場合どのような結果が生じるか?」といった、設問そのものに対して一歩引いた目線で考えることです。

このスタンスを取ることで、問いの前提に目を向けることができ、より冷静な判断が可能になります。

 

おわりに

非常にわかりやすい文体で、リテラシーの鍛え方について体系的に書かれた名著でした。

この内容を完全にマスターできれば、情報を解釈する力は飛躍的に高まると思います。

 

近年は、SNSやらなんやらの盛り上がりから、個々人の情報リテラシーがものすごく大事な能力になってきています。

キャッチーでバズった投稿をよく調べてみるとニュースをぐちゃぐちゃに改ざんしたフェイクだったり、個人の主観的意見が何万人ものフォロワーの反響を得てひとり歩きしていたり……。

SNSで世間話程度のデマをツモるならまだいいですが、いまや、受験・就活・結婚など重要な意思決定に際しても、玉石混交の数多くの情報が紛れ込んでいます。

本書はそういった潮流の中、上手く立ち回っていくための強い武器となってくれるのではないでしょうか?

 

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

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