学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

古典SF『幼年期の終わり』 の感想・考察

うじうじと過去を懐かしむようなことだけはしたくなかった 。余生を過ごしていけるだけの物資はある 。
何より欲しかったのは 、電子ピアノとバッハの楽譜だった 。これまでは音楽に時間を費やすことができなかった 。それをいまから取り返そうと決めていた 。(中略)

ジャンは昔から優れたピアニストだった 。そしていま 、彼は世界最高のピアニストだった 。

 

新年の挨拶のために祖父母宅へ向かう電車の中で読んだこの小説がめちゃくちゃ良かったので、新年1発目の感想記事を書こうと思う。

この文章で本作への興味を引けるかはなんとも言えないが、ぜひ多くの人に読んでみてほしい作品だったので、もしよければ。

 

表紙はこちら。自分が読んだ版とは違うが、そこはご容赦ください。

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あらすじ(光文社新訳版)

ある日、地球上空に巨大な宇宙船が現れ、宇宙船の主たち、オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は、超越的な知性と科学力で姿を見せぬまま人類を統治し、平和で理想的な社会を地球にもたらす。

 

 その舞台設定の中で、

未知との遭遇を果たした人類は、彼らとどのように関わるのか?

・オーヴァーロードたちの真の目的はいったい何なのか?

・そして、人類はどこへ向かうことになるのか?幼年期の終わりとはどういう意味か?

といった様々な視点から物語が展開していくのが本作の構造である。

 

この話は、いわゆるエイリアンへの抵抗を繰り広げるような宇宙戦争的なモノではない。

本作の世界では、序章が終わった時点で、人類は手も足も出ずに征服されきっている。 

だが、その征服のあり方は非常に良心的(?)だ。

彼らは国連を介して人類に的確なアドバイスを与えながら、自身らの卓越した科学技術を駆使することで、みるみるうちに、争いが無く生活水準も向上した理想の世界を実現させる。

例えば、

・世界ではもはや計画的犯罪は起こりえない(犯罪に手を染めずとも、全人類が豊かな暮らしを送れる)

・思想対立を発端とする紛争も生じない(圧倒的な上位者が君臨したことで、人類レベルで思想の優劣を競う行為は無意味になった)

・環境の問題はオーヴァーロードたちの超越的テクノロジーによって解決

などなど。

読者が直感的に思い浮かべたような、理想のグローバル社会がそこに生まれたのだ。

 

しかし、オーヴァーロードたちは、なぜ地球人類にそのような恩恵をもたらし、管理・保護してくれるのか?

その根本的な目的は、彼らのだれも語ろうとはしない。第一章においては彼らはその姿すら現さない

そうしたオーヴァーロードらのスタンスは、一部の地球人類のささやかな不信を買うことになる。実際、第一章、二章においては、オーヴァーロードに懐疑を抱いてしまった人間たちの果敢な行動を起点に物語が展開する。

 

そして、オーヴァーロードが飛来してから数十年。

もはや人類にとって彼らの存在があたりまえになり、オーヴァーロードネイティブとでも呼ぶべき新世代の子ども達が生まれたとき、彼らの目的は明かされ、物語はクライマックスを迎える。

 

感想

まず、ざーっと読んでの感想として、とても訳文がこなれていて読みやすい。平易ではあるけれど、原文著者が込めた皮肉やユーモアのニュアンスは上手く残されている。

また、SFとしてのテクノロジー描写自体も、たいして古臭さを感じさせない。

異星の様子をはじめとする数々の情景描写は、とてもスケールが大きくて美しい。

 

 

※以下、内容面のネタバレ

 

内容面で良かったのはやはり第三章。

オーヴァーロードたちの目的が明らかになり、地球人類の趨勢が決定づけられてからの描写だと思う。

オーヴァーロードたちは、実は宇宙を統べる超強力な精神体「オーヴァーマインド」に奉仕する種族であった。

その能力を活かして、宇宙に存在する知的生命体が、オーヴァーマインドの一部へと進化することを促進する役目を負わされている。

その進化の種として今回選ばれたのが地球人類というわけである。

そして、新世代の子供たちは、もはや親たち旧世代には理解の及ばぬ存在へと変貌を遂げ、最終的にはオーヴァーマインドへと進化し、彼らと一体化する。

この変貌・進化・統合の過程こそが、本作タイトル「幼年期の終わり」の意味であり、すなわち人類史の終わりだ。

 

この第三章で個人的にツボったのが、オーヴァーロード自身は、人類のようにオーヴァーマインドへ進化する可能性が無いと断言されていることだ。

確かに卓越した能力、科学技術、知性を持ってはいるが、しょせんそこまで。

彼ら自身はすでに完成されてしまっており、社会や種族としての発展はすでに袋小路だというのだ。

しかし、彼らは自らの運命に絶望しない。

数々の知的生命体の進化を促していく中で、どこかにその袋小路を打ち破る鍵がないかと懸命にあがいているのである。

卑近な例を出すなら、怪我して選手生命を絶たれてしまいながらも、コーチ、マネージャーに転身する人間の悲哀だろうか。

あるいは、自分には非凡な才能はないと知りながらも、作家の創作活動をサポートして名作を生み出そうとする編集者の涙ぐましさか。

この辺の切なさは本作の大きな魅力だと思う。

 

また、冒頭にも引用したが、ラストシーンである事情から、ジャンという旧人類の青年が唯一の人類の生き残りとして地球に残り、滅びを見届けることを選択する。

科学者だった彼は、自らの余生の短さを悟り、過去に才能の面で諦めたピアノに再度向き合い没頭する。なんせ彼は、今や世界最高のピアニストなのだから。

ここの、覆せない終わりを見据えつつも、自分のやりたいことに向き合うというシーンには、描写の美しさもありとても感動させられた。

 

考察

感想でも書いたが、ジャンやオーヴァーロードたちの、自分にはどうにもできない状況の中でもできることをする、足掻く姿の気高さのようなものが非常に強く印象に残った。

これはまさしく、著者クラークの読者へのメッセージではなかろうか?

いずれすべてが無に帰すとしても、虚無を克服して絶望に立ち向かうべきだ。

なぜなら、結果ではなくその過程こそが気高く美しいものだから。

そんな人間賛歌を、自分は本作から感じ取った。

 

 

幼年期の終り

幼年期の終り