学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

『ライ麦畑でつかまえて』ネタバレ感想

「兄さんは世の中に起こることが何もかも嫌なんでしょう」(本文より)

 

最近、文末のバリエーションをはじめとした語彙力の不足による不自由を感じております。

なので、よりストレスフリーに書くために常体でやってみようと思います。

(「いや大してボキャブラ増えてねーやん」は禁句の方向で)

 

さて、今回はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』について書きたい。

本作、タイトルだけは聞いたことがある人も多いはずだ。

かく言う自分もその一人で、不朽の名作だとか言われていることは知りながらもつい最近まで読もうとも思わなかった。

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余談だけれど、古典的名作という枕詞がつく作品の多くは、義務教育でもない限りあまり触れる機会が無いのではなかろうか。

個人的には、本屋の店頭で平積みになっている新鮮な作品に目を奪われることの方が多い。

映画なんかだとより顕著で、観るのに手間と時間がかかるため、なんらかの使命感や功名心を持った人種以外はよっぽどのことがないと古典の視聴には踏み切らないイメージがある。

https://magazineworld.jp/brutus/brutus-859/

この雑誌のような特集記事が組まれるのも、そんな古典映画の性質を裏打ちしていると言えるのではないだろうか?(もちろん偏見である)

 

そんな感じでなんとなーく読まずにいて、なんとなーくAmazonでポチってみた本作。

読んでみれば、上述のような古典文学への食わず嫌いを克服してみようと思えるようになった。 

 

あらすじ

一言で言うなら、海外版「人間失格といった感じだった。

 

寂しがり屋&皮肉屋コミュ障&人間関係潔癖症と三拍子揃った主人公が必修科目を落第して高校を放校され、葛藤と自暴自棄を抱えながらニューヨークを三日三晩さまよい歩くのが本作の大筋である。

誤解を恐れず乱暴に言ってしまえば、物語の中で主人公ホールデンは全く成長しない。作中終盤で言及される通り、彼が邁進するのは堕落への道だ。

ある書評では、読み終えた後、試しに最初から読み返しても全く違和感がないとまで書かれていた。

主人公の造型をもう少し詳しく紹介してみる。

浪費家にして重度のアル中・ニコ中で、周囲の人間を「酒と煙草とセックスの話しかできない低脳」「退屈で不潔なウスノロ」「自己顕示欲に支配されたインチキ野郎」だと見下し、溺愛する妹や、尊敬する恩師からの進言も素直に聞き入れる事が出来ない。

ついでに言うなら、憎からず想っている女の子にアプローチする機会があっても、「なんだか急に気乗りしなくなった」と言って逃げてしまう。

こうしていくつかエピソードを挙げてみても、なかなか難儀な性質を抱えた青年である事がうかがえると思う。

 

読み終えてみて、苦悩しながらも親の金を展望乏しく浪費していく情けない様、最後には体調と精神を崩して入院してしまう様など、ある種救いのない堕落物語である点から、先に書いたように『人間失格』の葉蔵を想起させられた。

そして太宰同様ただのクズの自分語りでは終わらず、こちらの自意識に訴えかけてくるモノがあった。

 

冒頭で引用した妹のセリフは、厭世感に塗れてがんじがらめになった主人公が、ほぼ唯一心を許せる妹に会いにいく終盤の言葉だ。

ここで主人公は自らを苛む周囲の下劣さを妹に語ってみせるのだが、それへの切り返しが上述のセリフである。

兄さんが苦しいのは、自分の理想を他人に押し付けているその生き方が原因なのだと、単刀直入な火の玉ストレートをぶつける妹。

目を逸らしていた自分の根性を突かれ、主人公はたじたじで「うまく意識が集中できなく」なってしまう。

(ちなみに、タイトルのライ麦畑の意味はここで明らかになる。

現実のままならなさに嫌気がさした主人公は、「一面に広がるライ麦畑で遊びまわる子供たちが、道をそれて崖から落ちてしまいそうになった時、それを抱きつかまえて畑へ帰してあげるような仕事だけをしていたい」と理想を語るのである。)

 

この対話は印象的で、非常に痛烈かつ哀愁が漂う。

社会から拒絶され続ける原因を他人に求め、精神の安定を図る非建設的な生き様を、最も信頼している人間に真正面から否定されてしまう。

そして主人公は、妹からの愛ゆえの苛烈な忠言を受け止め切れず認知的不協和に陥るのだ。

 

感想

劇的な展開は少ないが、苦悩と痛々しさにじりじりと心を炙られるような感覚が味わえる。

純文学的小説を読むのは苦手なのだが、軽妙な語り口と解像度の高い情景描写で引きずりこまれてしまった。(特に、ニューヨークで売春屋に騙されて有り金をボッタクられるシーンは、作者の実体験かと見紛うようなリアリティだった笑)

 

本作は、タイトルのファンシーなイメージや、飄々とした訳文からは予測しがたい、厭世感に対する劇薬のような物語だ。

社会との折り合いに悩んでいる若い人や、エンタメだけでなく純文学も読んでみたいと考えている本好きの人などにぜひオススメしたい。