学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読みました

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"彼女はいつもあそこを見つめていた。

何が見えるのだろう。

今、何を見ているのだろう。

明石は不意に熱く苦いものが込み上げてくるのを感じた。

俺もあそこに行きたかった。彼女が見ているものを見たかった。

いや、ほんの一瞬かもしれないが、見たと思うーー

続けたい。弾き続けたい。

明石は舞台の上の亜夜に向かって叫んでいた。

俺は音楽家でいたい。音楽家でありたい。"

おはようございます。

今日も今日とて東京砂漠の片隅からお送りします。

今回は、直木賞&本屋大賞ダブル受賞を成し遂げた大作、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』の感想を書こうと思います。

私事ですが、恩田陸作品は『夜のピクニック』くらいしか読んだことがありませんでした。あのなんとも言えぬ淡さを味わうにはスレ過ぎていたのか、当時はあまり刺さらなかったので本作を楽しめるか危惧していたのですが、見事杞憂に終わりました。

本作は、「ここを戦い抜いたピアニストは大成する」というジンクスが囁かれる、日本のとあるピアノコンクールが舞台です。

スポットの当たるピアニストは4人。音楽界の常識とかけ離れた、天衣無縫の少年風間塵。彼とは対照的な正統派・王道の天才マサル。かつて母の死と共に、一度ピアノから退いてしまった亜夜。そして、「20過ぎたただの人」を自認し、記念受験的にコンクールに挑む明石。

コンクールを戦う中で、対話や演奏を通じて彼らが各々の成長を遂げていく様が、この物語の主軸です。

読んでてまずありありと感じたのが、ピアノが持つ特有の荘厳な美しい雰囲気です。誤解を招かぬよう言っておくとぼくの音楽的素質はからっきしです。

ただ、陳腐な表現にはなりますがまさしく映像的な文章なんですよ。コンサートホールの静寂や熱狂、ピアニストたちが抱える畏怖や高揚、クラシック楽曲が奏でる音楽家たちの心象風景。こういった諸々が視覚的なイメージを伴って顕在化していました。

「文章をどのように読むか?」というテーマにも関わってくるでしょうが、ぼくは基本的にいわゆる「脳内再生」が苦手な人間です。文字と映像が中々直結しません。

ニュアンスを汲み取ってもらえるか自信がありませんが、文章が想起する映像を観賞するのではなく、文字の連なりが持つ意味を頭でそのまま取り込んでいる感じです。

なので、コメディとかキャラ崩壊気味の二次創作なんかへの順応性は高いのですが、ゴリゴリのクラシックな純文学みたいなものは少し苦手です。これはもう完全に余談ですね。

話を戻すと、本作にはそういう貧困な想像力(笑)の人間にもコンサートホールをイメージさせるパワーがあるなと感じました。

それを実現するだけの要因のひとつとなっているのが、作者の多角的な視点です。

ともすればひたすらお耽美な雰囲気に終始してしまいそうなピアノ演奏の光景を、必死に自分の世界を描こうとするピアニストの視点、彼らの心象風景に陶酔してしまう友人・審査員たちの視点、音を分析しながらも圧倒されてしまう一観客の視点で書き分け、客観性を保っています。

そしてそれによって、どんな読者でもピアニストの演奏を楽しめるような分かりやすさを担保しています。

また、こうした異なるスタンスでの書き分けによって、天才たちの暴力的な無垢性によって宿る神秘性&それ一本で食べていくことが困難な音楽界の現実性という、ピアノのまとう相反する側面が物語を通して上手くまとまっています。

さて、小説全体のテクニカルなところを褒めた上であえて言及しますが、こうした厳然たる才能の世界を描いた物語を読むと、読者が肩入れする人物は自ずと分かれてくるものかと思います。(あえて共感ではなく肩入れと言います)

恋愛ドラマを見て誰を応援したくなるか問題と言えばより分かりやすいでしょうか(笑)

ちなみにぼくは、三角関係においてひとり報われない方のキャラが大好きです。読者の方にはおそらくバレバレでしょうが(笑)

この小説で言うならば、4人目のピアニスト明石です。天才たちに対する消化しきれない嫉妬心や怒り、純粋な憧れ、倒錯した優越感を抱え、メタ的に言えば「絶対に作中のコンクールでは優勝できない」と読者にバレてしまっている人物。

彼がどのように自分のピアノと向き合っていくのか?

優勝はありえないと作者に告げられた上で、どのような救いを得るのか?

そんなところも本作の見どころではないでしょうか。

またもうひとつ印象に残った場面として、三次選考での亜夜の演奏シーンがあります。

彼女もまた自分のピアノへの姿勢を悩み続け、風間塵の演奏に背中を押され、ついに自分のピアノを確立して舞台へ向かいます。

この亜夜の演奏シーンで、聴衆は皆自分の人生の一部始終を想起するんですよね。

ぼくは個人的に、人間は根っこで絶対に独りであって、苦しみや悩みに始まる他人の感情、人生を完全に理解することなんて出来ないと考えています。

「クソガキが無頼主義気取りやがって」「中二病かよ」などと言われるかもしれませんが、自分の人生を前進・変化させるのは自分でしかありえない。この考えは変わりません。

ただ、上記のシーンを読んだ時、人間が、そんな互いの不理解を超越して交わることが出来る媒体が音楽であり芸術であって、だから芸術家が"表現者"なんて呼ばれるのかなーと、ガラにもなく青臭いことを考えさせられました。

と、こんなところで今回は終わりたいと思います。

オススメですので是非ご一読下さい。