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臆病で尊大な読書日誌

大学生の読書感想文

伊藤計劃の『ハーモニー』を読みました

もしかしたら、誰もがこのゲームから降りたがっていて、けれど世間の空気というやつがあまりに手ごわい関門なので、降りることを諦めてしまっているのではないだろうか。

人は見たいものしか見ない、なんて言葉は様々な作品でそれっぽく意味深に語られますが、それが正しいなら、就活に中指を立てているぼくがこのフレーズを思わず引用してしまうのも、自明で仕方ないことでしょう。

 

さて、今日は某ソフトウェア会社のインターン休日で、天気は珍しく曇天模様。朝方には雨も降ったのか、不快でない程度の湿り気。

休日とは言っても、午前中にSkype面接を一件こなしてすでに疲労度はなかなかのもの。

気分転換も兼ねて、毎度のごとく駅へ出向きカフェに腰をおろしました。

 

休日恒例となった一冊読破。今回自分が選んだのは、夭逝のSF作家伊藤計劃の『ハーモニー』です。高校時代に読んだのですが、この間の『虐殺器官』劇場版を見て再び本棚から取り出しました。ちなみに、冒頭のフレーズは作中中盤の主人公の独白です。

 

この作品は虐殺器官と世界観を共有しており、軽く紹介すると、『虐殺器官』のクライマックスに端を発した「大災禍」と呼ばれる混沌の反動で築き上げられた、徹底的な福祉厚生管理社会を舞台としています。

成人になれば、誰もがWatchMe(体内状況監視ソフト)と医療分子(病原排除用ナノマシン)を体に内蔵することを義務付けられ、病気がすっかり駆逐された世界。もう二度と惨状を経験しないために、隣人愛、公共精神、そして健康意識が幼少期から徹底的に教育され、誰もが他人に優しいユートピア。この社会でタバコや酒をやろうもんなら、同調圧力によって社会的信用は失墜してしまいます。

 

そして物語は、そんな社会に”真綿で首を締められるような”息苦しさを感じた3人の少女が、自死を企むところから始まります。

計画の首謀者ミァハは、失敗してしまった主人公トァンと友人キァンを残して一人この世を去りました。

大人になり、なんの因果かWHO(この世界では馬鹿でかい権力を持つ)の官僚として働くトァン。ある日、キァンとランチをしていたその時に、目の前でキァンがテーブルナイフによって自殺を決行します。言葉を失ったトァンですが、上長からの緊急連絡によって、これが世界中で同時多発した集団自殺事件であることが告げられます。

キァンの今際の一言から、トァンは死んだはずのミァハが事件に関与しているのではとの疑念を抱き、捜査を進めていくのですが……

 

 

といったところがあらすじです。毎度長い。

 

まず言及したいのが作品の世界観です。

管理を極めたユートピアディストピアを舞台にした作品は数多くありますが、医療、健康にフォーカスしたものは珍しい気がします。

巻末の解説曰く、伊藤氏が入院中に執筆されたというところが舞台設定にも大きく関わっているようです。究極に平和なことへのストレス、というような表現をされていました。

 

こういうジャンルではありがちなテーマではあるのですが、そうした典型的な枠におさまらない、健全を極めた結果の不健全さやおぞましさみたいなものがこの小説では生々しく伝わってきます。

もしくは、ある種の滑稽さと言ってしまってもいいかもしれません。

実際、私たちは異なる価値観に直面したとき、理解できないことへの不安や恐怖を感じるのみならず、どうにもバカバカしくおかしく思えてしまうことがあると思います。そのあたりの微妙なニュアンスも、この作品ではトァンのシニカルな目線を通していい塩梅で体験できます。

 

それますが、この時勢に改めて読むと、タバコのあたりなどはリアリティをありありと感じます。五輪に伴う飲食店全面禁煙、流石に勘弁してくれませんかね?笑

高額納税者たちのために、せめてもう少し公衆喫煙所を多く設けてはくれないかと思う毎日です。

 

戻しましょう。ぼくのニコ中度合いなんてもんの需要は極低です。

 

大胆かつリアルな世界観も魅力的ですが、『ハーモニー』の主題は、人間の意識とは?ヒトを人たらしめるものとはなんなのか?というところにあります。

作中ではこう語られます。

ある状況において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要になった遺伝子の集合。人間のゲノムは場当たりの継ぎ接ぎで出来ている。(中略)

我々人類が獲得した意識なるこの奇妙な形質を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあろう。(中略)

社会的動物である人間にとって、感情や意識という機能を必要とする環境が、いつの時点でかとっくに過ぎ去っていたら。我々が糖尿病を治療するように、感情や意識を「治療」して脳の機能から消し去ってしまうことに何の躊躇があろうか。

意識の存在問題がどう物語本筋と絡むかはぜひ読んで確かめていただきたいです。

伊藤氏はこれらの表現によって、

「人間が動物的進化の過程で獲得した意識や感情は、生きていくためにそれを必要としないほどにガチガチのシステムを社会が作り上げてしまったら、”無駄な葛藤や悩みをうむ原因”だとかなんとか言って究極的に抹消されるのでは?」

と過激な問題提起をしているのだと思います。

また、それによって逆説的に、本当にヒトを人たらしめるものって何なんだろうね?と読者に問いかけているような気がします。

何なんでしょうか。答えは出せませんね。

 

 

色々語ってきましたが、ぼくは、伊藤氏の作品の一番の魅力は、こうした重厚な世界観やテーマを扱っていながらそれをわかりやすく伝える文章力だと思っています。

皮肉っぽくてロジカルでありながら、フランクで親しみやすさを感じる文体で、山場ではここぞとばかりに文学的でエモーショナルな表現が畳み掛けられます。

『ハーモニー』のクライマックスシーンでも、一度読んだことがあってもなお、ページをめくるたびに現れる言葉に目が惹きつけられて息が詰まってしまいました。

 

こういう、バランスよく、かつ要所で突き抜けるようなエッジの効いた文章を書けるようになりたいものです。

普通のSFとして読むもよし、哲学的に読むもよしです。よろしければぜひ読んでみてください。

 

といったところで、今回は締めようかと思います。

明日も八時おきです。

この浮世離れと俗世の往復生活も折り返し地点ですし、また頑張っていきましょう。