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臆病で尊大な読書日誌

大学生の読書感想文

自意識と鳥瞰と信仰の話

起床は16時過ぎ。ほとんど空を見ておらず、晴れか曇りかはわからない。

ここ数日は遊び倒していた。強いて特別なことをしていたわけではなく、就活関係から遠ざかっていた程度の意味合いだ。

本を2冊通しで読んで追加で1冊買い、麻雀を打ち、ライブに行って飲酒。

本は森絵都の『カラフル』と、外山滋比古の『乱読のセレンディピティ』。

前者は、自殺した少年の体に前世で罪を犯した主人公の魂が乗り移るという小説。

後者は、文学者のエッセイと読書ハウツーを足して2で割ったような新書。

見に行ったライブでは、同い年だったり年下の人間が万単位の人間の前でハイパフォーマンス。緊張と高揚と多少の憑依が混ざり合って総じて楽しそう。

本もライブも、脳が自分の現状との結びつきを勝手に見つけ出してきて、かなり複雑な心境。勇気とやる気を貰えたが、同様に矮小な世界で鬱々としている自分に嫌悪感を抱く。

ならば何か変わったことでもやってみようと思うが、「21年成り行きで生きてきたお前に何か特別な才能があるのか?」と、自己批判によって、エンジンブレーキのように勢いがみるみる削がれていく。

最近分かったが、何をやっている時にも自己批判的というか、冷笑的な目線が拭えない。

人の目線は気にならなくても自分の目線は気になる、と表現するととたんに傲慢な気がする。

俯瞰的・客観的な視点と尊大で過剰な自意識は両立するらしい。

所感だが、むしろ好相性だろう。臆病な自尊心と尊大な羞恥心と書き表した中島敦は天才だと思う。

躁鬱の波が谷間にある時は毎回こんなことばかり考えている。

この葛藤を最短効率でぶち壊すには、熱烈な信仰が手っ取り早いはずだ。

特に信仰については、なんらかの超越的な存在を仮定することで謙虚さが得られ、その存在に許しを乞うことで自意識に蓋をすることができる。一石二鳥の手段ではなかろうか。

超越的存在は宗教に限らずなんだって構わないだろう。

問題は、こんなご時世、なんのきっかけも無く信仰を抱くのはとても難しいってことだ。

映画『沈黙』の後半でも描かれていたが、信仰は個人の内面の在り方の問題であり、そして、土壌のあるところにしか根付かない。

肥大した自意識をノックアウトするための信仰を獲得するには、自意識による自己批判に耐えなければならない。

まるでモンハンみたいだ。

あいつを楽に倒すための素材を得るためにはこいつを倒さなきゃいけない。こいつの弱点属性はそいつの素材の武器。そいつの弱点属性はあいつの素材の武器。

無限ループ。

結局プレイヤースキルと無属性武器の火力でぶん殴るしか無くなる。

適切な生活リズムと睡眠のことかな?

寝ましょう。