学生やめました
もとい、就職しました
新年度で忙殺されており、久々の投稿となります。
今回はいわゆる卒業エントリってやつです。(もはや関東ではさくらに緑が混じり、周回遅れで旬を逃した感が漂いますが……)
先月末に東北大学を卒業して学位をもらい、学生の身分を喪失、もとい会社員の身分を獲得しました。
このブログも、過度に色を出すのが恥ずかしくて『学生読書日誌』と題していたのですが、新しいネーミングをどうしようかが目下の些末な考え事です。
社会人読書日誌だとゴロが悪いし、社名を出すのはコンプラが怖い(自己顕示欲に負けたら名前を出し始めるかもしれない笑)
まあそんな話はいいとして、とりあえず何とか四年間まともに学生を全うし、無事に就職先で働けていることに安堵の気持ちでいっぱいです。
度々醜態をさらけ出す羽目に陥りながらも、ひっくるめていい大学生活だったといえるのは、ひとえに周りの人々のおかげだと思います。家族と友人に切に感謝。
また、こうして周囲のありがたみをフラットに受け容れ、素直に享受できるようになったことそれ自体も、大学という場で自由に生きたことによる成長の一部なのかなとも。
入学してから卒業まで、講義やサークル、日々の生活もろもろ全てを通じて、精神性・能力ともに以前よりましな自分になれたんじゃないでしょうか。
良い学位を獲得し、今後も会いたいと思える友人に恵まれ、自己の成長まで実感できれば、一般的な大学生として言うことないんじゃないかな。
東北大学入ってよかったです。
ブログの方も、飽き性の自分が1年3か月も続けられる程度には相性いいっぽいので、なんとか続けられるように社会人生活やっていければと思っています。
卒業エントリとか柄じゃないけれどやってしまった。
研修初週が終わりまだ先は長いけれど、とりあえず明日からは英語リスニングを始めようと思うんで、ささやかに応援してくだされば幸いです笑
退屈を打倒したい
組曲『惑星』を聞きながしながらキーボードを叩いている。ジュピター以降の部分が全部似たような曲に聞こえて識別できねぇ。
自分語りは半ばライティングマラソンみたいな感じで、他人に読みやすく感じてもらいたいとか、論理の構成を整えないといけないとかいう緊張感が皆無なので、こういう深夜に突発的にやりたくなる。
さて、目下の課題が退屈である。
より具体的には、何もする気が起きず、対して面白くもないゲーム実況を垂れながしながら煙草を吸う以外の活動ができなくなる状態を引き起こす感情のことだ。
ある本では、ハイデガーの主張を引き合いに出して、人間の人生の本質は、死ぬまで続く退屈しのぎであると書かれていた。
良かれ悪しかれ、人生とはなにかに没頭している、とらわれている状態と、退屈している状態の二つを行き来しているのだという。
そこでの記述が正しいのであれば、退屈が人生のデフォルトの状態で、そこをベースに好調、不調の波があるということになる。
しかし、退屈というとどことなくマイナスな雰囲気が漂っているし、実際辛い。もう少し穏やかでもいいんじゃね?と思わないでもない。
たとえばゲームなら、「デフォルト」=「体力満タンでバフもデバフもついていない」状態を言うのだろうが、人生のデフォルトは、そこに永続の状態異常がかけられてる感じだ。
まあ、仕様を嘆いても仕方がないところはある。問題は、永続毒状態のくせにリセットできないRPGの具体的な攻略法だ。
上記の定義からすると、なにかに集中している状態であれば、この、心を焦りと虚無感でゴリゴリ削るような退屈状態からおのずと離脱できるんだろう。
つまりは、集中の感度を高い状態に保つこと。集中が可能なだけの体力をキープすること。知的好奇心を広く保つこと。
……早寝早起きかな?
最強のリテラシー教本『知的複眼思考法』
「自分で考えろ」というのはやさしい。「自分で考える力を身につけよう」というだけなら、誰にでもいえる。
そういって考える力がつくと思っている人々は、どれだけ考える力を持っているのか。(本文より)
はい。
引用部分はまえがきからとったのですが、挑戦的でいいですね。
というわけで今回は『知的複眼思考法』の紹介をしたいと思います。
最近読んだ下のブログ記事で紹介されており、そこでの推され方がすごかったので手に取ってみました。
では、紹介に入っていきましょう。
あらすじ
まえがきで筆者が狙いを提示しているのですが、ここでの「知的複眼思考法」とは、ステレオタイプに短絡的に左右されるのではなく、自分の頭で物事を考えることだといいます。
そして、本書はそれを支える基礎的なトレーニング法を筆者が紹介したものです。
以下のように4章立ての構造で、実践を挟みつつ順を追って書かれています。
- 創造的読書で思考力を鍛える
- 考えるための作文技法
- 問いのたて方と展開のしかた
- 複眼思考を身につける
この記事では、各章ごとに有用そうなトピックを少し抜粋して書いていこうと思います。
1章:批判的読書のコツについて
1章で書かれているのは、複眼思考を体得する(情報を多面的な視点で解釈できるようになる)ための読書技法です。
ここで主に語られているのは、著者と対等な視点で本を読むこと。
なぜなら活字はそもそも、著者が表現したい内容を書くにあたって取捨選択を繰り返した結果の産物であり、無謬の完成品ではないからです。
だからこそ過剰にありがたがったりする必要はなく、読みながら内容について考えていくことが、思考力の養成には肝要だといいます。
具体的なコツとしては以下の4つ。
- 鵜呑みにしない(内容をまるごと信じたりしない)
- 著者の目的を考える(誰に向けて書かれた、どんな種類の本なのか?)
- 論理展開の正しさを考える(著者の主観的意見とデータ、根拠を区別する)
- 著者が依拠している前提を探る(言葉遣いや設問から、著者の中の”常識”を推測する)
2章:論理的文章を書く方法
2章では、1章の視点を自分自身に向けて、論理的で説得力のある文章を書く方法について触れられています。
なぜ作文技法が問題にされるかというと、著者曰く「書く事は、自分の考えを明晰に表現することにほかならない」から。
その前提として、どんな優れた考えも、伝わるように表現できなければ無いものと同じだ、という主張も述べられています。
ここでは、実際に気をつけるべき点として、主に以下のことが挙げられます。
・結論→理由付けの構成
・論点が変わるときは読者に伝える
・筆者の判断の根拠がなんなのかを示す
・接続語の使い方に気を配る
基本的ですが、これらを徹底することで読みやすく説得的な文章になるわけですね。
また、書き方のトレーニング技法としては「ある主張に対して複数の立場からの反論を書いてみること」が、多面的視点を体感できる点で有用だといいます。
3章:何を問題として取り上げるべきか?
ここの内容は結構アカデミック、ビジネス成分が強いです。
というのも、何かについて考える際に、一体どんな設問から始めて考察していけばいいか?という点に関するコツを書いた章になっているからです。
ここでは、生活の中での「素朴な疑問」を、「解答を与えることを目的とした問い」の形に昇華することが最初の一歩だとされます。
そして問いの形としては、調べてわかってしまうような「~はどうなっているのか?」ではなく、「なぜ~なのか?」と因果関係を追求する設問がベター。理由を問題にすることで、自分で仮説を設定する、つまり考える必要が生じるからです。
こうして「なぜ」を追求することで、”収まりの良い”ステレオタイプで思考停止せず、自分で問題について考えてみる習慣がつくのがメリットです。
4章:複眼思考、3つの具体例
ここでは、著者が複眼思考とする3つの物事への考え方が具体的に紹介されています。
- 関係論的な考え方
- 逆説的な考え方
- メタ的な考え方
1について、関係論的思考とはある物事を、2つ以上の要素が相互に関連しているものだと考えることです。まさに著者のいう複眼ですね。
本文中では過労死の概念を取り上げてこれを説明しています。過労死は従来、労働者側の健康管理の問題と一義的に捉えられていましたが、それに加え職場環境や労働内容・時間が要因として存在するのは、今や自明のことです。
物事の性質を、安易に単一の要素に帰着させずに、ただしく要因を分解・把握することがここでの目的です。
2について、逆説的思考とは、物事の意図せざる結果、「~にもかかわらず」という構造に着目することです。(具体的説明は難しいので、ここは本書を読んでください笑)
これによって、事象の影響関係を常識に縛られず幅広く捉えることが可能になります。
3について、メタ的思考法とは、「問いを立てること」そのものについて問い直すことです。
具体的には、「そもそもこれはなぜ問題なのか?」「この問題で誰に利害が生じるか?」「解決された場合どのような結果が生じるか?」といった、設問そのものに対して一歩引いた目線で考えることです。
このスタンスを取ることで、問いの前提に目を向けることができ、より冷静な判断が可能になります。
おわりに
非常にわかりやすい文体で、リテラシーの鍛え方について体系的に書かれた名著でした。
この内容を完全にマスターできれば、情報を解釈する力は飛躍的に高まると思います。
近年は、SNSやらなんやらの盛り上がりから、個々人の情報リテラシーがものすごく大事な能力になってきています。
キャッチーでバズった投稿をよく調べてみるとニュースをぐちゃぐちゃに改ざんしたフェイクだったり、個人の主観的意見が何万人ものフォロワーの反響を得てひとり歩きしていたり……。
SNSで世間話程度のデマをツモるならまだいいですが、いまや、受験・就活・結婚など重要な意思決定に際しても、玉石混交の数多くの情報が紛れ込んでいます。
本書はそういった潮流の中、上手く立ち回っていくための強い武器となってくれるのではないでしょうか?
知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)
- 作者: 苅谷剛彦
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売り手市場で死ぬほど苦労した18卒による、就活教訓4選
喉元過ぎて熱さを忘れているのもどうかと思ったので、散々苦労させられ、大学生活後半をがっつり費やすことになった就活について軽く書いてみたい。
つっても過程を逐一書くのはダルいので、いくつかを自分が得た教訓としてまとめてやってみる。
考えの甘さも赤裸々におっぴろげて書くつもりなので、苦笑いしながらくらいのテンションで読んで欲しい。
なんか一個でも有用やなと思えたところや、こいつアホやなって笑ってくれるところがあれば幸いです。
自己紹介
誰がやるかによって就活は千差万別。なのでまずは自分がどんなやつかテキトーに。
地方公立高校→地方旧帝大法学部(not地元)。そこそこ頑張った文化系サークル&接客バイト一個ずつ。趣味は読書、映画、麻雀。
とりあえず高校や大学の偏差値レベルで、見劣りしない年収とキャリアが得られりゃいいかなと考えて就活を開始。
しかし想定外にうまくいかず、一時は40個弱の持ち駒が全滅。
最終的に8月頭にITサービス大手からの内定を確保して就活終了。
以上がだいたいのプロフで、要するに民間就活やってれば腐るほどいるタイプの人間。
それでは教訓に入っていこう。
- 民間就活という選択肢そのものについて、最初によく吟味する
- 割り切るところは割り切って、変なプライドは捨ててしまう
- 逃げ道を確保しておく
- 信頼できる相談相手を見つけておく
1.民間就活という選択肢そのものについて、最初によく吟味する
はい。就活振り返りっつってるくせにいきなり挑戦的なTips。
というのも、自分は国家公務員と民間でまず迷い、待遇の面から前者を断念。
その後、特に業界や職種面でやりたいことが思いつかない。
自分のひねくれ具合と飽き性への自覚はあったので「大手でコミュ力で戦うよりベンチャーでやるほうが向いてるかな?」と考えて、とりあえずベンチャー企業をメインに就活開始。
こんな感じのゆるふわな軸で就活に臨んだためか、「なんでうちなの?」的な詰めを大量に食らう羽目になった。
ここの内容を一般的な就活フローに当てはめると、自己分析と企業分析をしっかりしようという話になる。
ここでの一歩目として、まずは自分が思いつく、進みうるあらゆる進路を網羅的に検討すべきだ。
なあなあで就活を始める前に、まずは学歴や能力からくるバイアスを外して考えてみよう。
例えば、ニート、フリーター、留学、大学院、民間、公務員、資格専門職、主夫、投資家、芸術専門職などなど。
とりあえず、卒業後の身分としてありうるものをざーっとあげてみる。
そこから、なるまでに必要な金、適性や経験、時間などの条件面と、待遇、興味関心などの希望面の二軸で選択肢をいくつかに絞る。
ここでの各要素には優先順位付けをしよう。全ての項目で自分とマッチする選択肢が見つかればいいが、そうでない場合必ずどこかで妥協は必要になる。
こんな感じの流れで決めるだけでも、テキトーにフィーリングでやるよりは納得感のある就活ができるはずだ。
注意点:判断材料とした情報は本当に正しいのか?
適当に考えた悪い例だが、公務員という進路を検討する際の情報に2chの公務員叩きスレなんかを使ってしまうと、正確性の薄い偏った情報をベースに判断する羽目になるだろう。
これは企業分析に限った話ではない。自己理解も色々とバイアスに左右されがちだ。
信頼できる人に相談する、モチベーショングラフや自分史年表を書いてみるなど、有効とされる方法論は巷に転がっているので、自分に合うツールを活用しよう。
また、そのときは正しかったことが時間経過で変わることもある。定期的に自分や企業についての情報は更新しよう。
2.割り切るところは割り切って、変なプライドは捨ててしまう
2は就活を始めてからの話だ。
就活中にはいろいろと不愉快なことも多い。
いけすかねぇ就活生とエンカウントすることもあるし、見ず知らずの社会人に人格否定されることもある。
そもそも内向的な人間にとってはGDで発言するのや、面接官と何十分も会話するの自体がストレスだろう。
場所にもよるが、基本的に大金もかかるし体力も使う。夜行バスで上京して4社回ってまた夜行で帰る、なんてもう二度とやりたくない!
(不愉快の例)
「なんやこの説明会、クソ茶番やん」
「てめぇらみてえなオッサンに俺の何がわかる?」
「人に意識の高さを押し付けんなやお前うさんくせえんじゃボケ」
「なんで俺だけこんなに落ちんの?死にてぇ……」
「バイトで交通費稼ぎながら上京するのきつい。睡眠も足りないし体も不調」
「時間が無さ過ぎる。単位やべぇよ……」
わかる、めっちゃわかる!
しかし敢えて言うと、少なくとも民間においての就活とはそういうもんである。
不透明な属人的評価、形ばかりの経団連倫理憲章、人口・国内求人数の分布など、一学生にはどうしようもない環境要因で成り立っているもの、それが就活だ。
あえて同一視するが、大学受験で「なんで俺の点数で足りねぇんだ!?」と愚痴る人間に人は共感するだろうか?
おそらくしないだろう。なぜならそういうもんだから。それが嫌なら別の道を探すしかない。
勉強せずに大学に受かることが難しいように、上記のような不愉快を全て回避しながら就活を遂行するのも、フツーの大学生にとっては難しいだろう。
それ相応の理不尽がチェックポイントになっている構造なのだ。
だからこそ、割り切る心構えが大事だと思う。
就活という構造の中で結果をあげようと思ったら、そうすることが一番の早道だ。
もちろん受験と同じで、それが簡単に出来る人もいるだろうし、苦労する人もいるかも知れない。
ただ、こういう覚悟が念頭にあるかどうかで楽さはだいぶ変わってくるはずだ。
幸いなことに、インターネットのおかげでこういった不愉快の数々は事前に内容を知ることが出来る。
事前に知ることが出来れば、資金調達や心構えもしやすくなる。
早めにキャリアを考え、準備することが大切だ。
また、他の教訓とも被るが、ソッコーある程度志望度の高い企業に内定した、とかでも無い限り、変に選り好みしないほうがいい。
体力、スケジュール、資金の許す限り、最初のうちはたくさん受けてみよう。経験は無駄にならない。
注意点:ほんとにキツくなったら休もう
就活は戦いである。
だからこそ前述したようなメンタルセットが重要になるわけだが、そういう理屈を超越して苦しくなる瞬間が来ることもある。
どんなことでもそうだが、気力体力が充実していなければいいパフォーマンスは出せない。
マジで辛くなってきたら、負の循環を断ち切るために一度休養の予定を組もう。
大丈夫。実体験だが、一週間くらい就活サボってもなんとかなる。
以下は、負の循環に囚われてしまった就活生の一例である(白目)
3.逃げ道を確保しておく
2では、ある種の覚悟の重要性を書いた。
矛盾するようだが、それを透徹するためには精神的な逃げ道が必要である。
最も具体的かつ効果的なのは、滑り止め企業の内定や、親からの就留・休学の許可などだ。
「もし万一ここで落ちたってなんとかなる」と言える精神状態だからこそ、上であげたような強い心持ちを維持することができる。
心の余裕が確保されているからこそ、多少の理不尽に遭遇しても一々メンタルを揺さぶられずに済むというわけだ。
精神面だけでなく実利的にも「逃げ道」は有効に働く。
例えば、就活佳境の内定承諾シチュエーション。
複数内定を持っている人間であれば、もし条件面などで多少の揉め事が生じたとしても強く出ることができる。
採用内定を出した以上、「それなら他行きます」なんて言われるのは人事部的に好ましく無いからだ。
こういう意味で、先に言及した持ち駒確保の重要性が生じてくる。
「最悪全落ちしてもここ行けばいいか」と言える企業の内定を早期に保持しておくだけで、進めやすさは段違いだ。
近年は、ぶっちゃけ年がら年中どこかの企業の本選考が行われている。3〜6月の正念場をうまく立ち回るために、早めに動いてどこか1つの内定を確保してしまおう。
4.信頼できる相談相手を見つけておく
就活は、極論、相手の求めている人間像を演じてみせる活動である。
演じるという行動には、「自分がどのように見えているか?」という客観的視点が必要不可欠だ。
似たような業界を受けている同期、先輩。
人材系企業のエージェント。
就活支援団体。
大学の就職課。
探せば親身になってくれる人間はいるはずなので、就活への理解度が高い人間から継続的にアドバイスをもらうようにしよう。
人の手を借りることを恥ずかしがる必要はない。
それは捨てるべきプライドである。
終わりに
以上4選が、自分の就活経験から抽出した有用な心構えだ。自分がやっておくべきだと痛感したことや、やっていて良かったと思ったことがベースになっている。
具体的にどうやって就活を進めて行けばいいかという方法論は、ネットや身近にいくらでも転がっているはずなので、積極的に探してみよう。
これからの時期、就活は一層本格化していきます。
そこに直面している人がどれだけいるかは分からないけれど、もしこれを読むことがあれば参考にしてみてください。
幸運を祈っています。
「ライティングマラソン」にチャレンジしてみた
最初にライティングマラソンについて
以下にリンクした、作家の人が書いているブログにて紹介されていた、文章トレーニング法の一種らしい。
とにかく、内容の矛盾、誤字脱字、レイアウトなど、文章を評価する際の基本的なことをぜーんぶ無視した上で、脳みそに浮かんでくる言葉を時間を決めてひたすら書きなぐる。
それによって、文章表現を行う際に自分の脳内に浮かぶ気恥ずかしさみたいなものから自由になろう、というトレーニングだそうだ。
ヒネクレ者の自分にとっては、つべこべ言わずまず書け、というアプローチは効果的な気がしたので、採用してみた。
一応書いておきたい。
俺個人は作家でも何でもないし、このブログの収益化を目指しているわけでもない。論文やレポートが求められる環境にあるわけでもない。文章は純然たる趣味だ。
実際にチャレンジしてみた感想
15分*4セットの、脳内思考垂れ流しを終えて、一本タバコを吸って感想を書いている。
実際やってみてとにかく思ったのが、右手が腱鞘炎になりそう。死ぬ。腰も痛い。深夜4時にまるまる一時間かけてやった訳だが、深夜テンションのアドレナリンでごまかしきれない疲労感がある。
ただ、参考にした記事では、これを繰り返すことで、
・とにかく長文を書く事に対するアレルギーが弱体化する
・やってると精神がやばくなってくるが、そこで現れる、自分の無意識下の欲求や願望のようなものをあぶりだすことができる
といったようなメリットが挙げられていて、実際それはそうっぽいな、と実感することができた。
また、自分の思考回路と追いかけっこを延々繰り返すという行動は、どことなく瞑想じみていて今までやったことのない新鮮な体験だった。
自分の悩みやもやもやも、浮かんだ瞬間に書きなぐることになるので、あまり物事にうじうじしなくなるかもしれない。
今ここであとがき的なものを書いている際にも、疲労感とともにどことなく充実感みたいなものが感じられる。ブログに上げるかはわからないけれど、ぜひまた時間を取ってやってみたいトレーニングだな、と思った。
なお、一応書きなぐった痕跡をガチでそのまんま下記に掲載しているので、もしあれだったらスクロールしてみてほしい。人間が発狂しかけている様が見られて面白いかもよ。
参考にした記事
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/tb.php/685-b5bbea66
マラソン本番
注意
※俺の精神は健全です、心配しないでください。暇なだけなんや。
※変態以外は見るのを勧めません。PV乞食だからツイッターにリンクは貼るけど。
1set
ネット上で、一定時間タイムを測って一切推敲、文脈の構成、論理の矛盾の有無等を気にせずに文章を書き殴り続けるという文章トレーニング法を見かけた
ちょうど自律神経の不調(といってもただの昼夜逆転)によってなかなか寝れないので、試してみている次第である。
頭に浮かんだ言葉をひたすら書きなぐると言っても、無意識に脳内で内容を接続しようとしているみたいで、意外と変な飛躍みたいなのは起こりにくいっぽい感覚がある。
ここから何を書こうか思い浮かばなくなってきたひたすらきーおーどに向かってタイピングを繰り返しており、誤字やご変換には気を使っていない。ブラインドタッチができないので、全く画面を見ずに打刻の感覚だえkでミスタイプを判断している。ここでまたとまってしまった。いがいとタイピング速度工場のトレーニングにもいいかもしれない。
元記事では、自分の文章に対する脳内リミッターを突破ら歌目に書きなぐる練習なのだと書かれていたけれど、結局同じことの堂々巡りをやってる感じがする。現にいま脳内リミッターが働いているってことやろか。
スペースキーがお亡くなりになったこのLENOVOのノート、キーボードに5分以上向かい合っているけれど、ボードの誇りが汚すぎる。変換キーもスペースが使えないので、打つ目標が小さくて妙にストレスかかる。給料入ったらPCをしんちょうしたい。あとはKindleタブレット。きんどるじゃなくてもいいけどじっかでIPADを使ってみたら、意外にも使い勝手がよく、というか使ってる時のおもちゃを弄ってるような感覚が楽しく、ちょっとほしくなってしまった。WIFIの活用が鍵だと思うけど、ポケットWIFIを契約すると海鮮料がかかるだろうし、スマホでてザリングすると通信料制限がのしかかってくるので、うまくふりーWIFIスポットなんかを見つけていくしかないかね。
口調も内容も整合性が取れない。そろそろ句読点や誤字もリアル勝ちヤバイ感じになってきているのがs。
ライティングマラソンとはよく言ったものだなと思う。というのも、ただただ文字列を10分以上打ち込み続ける活動は、純粋に体力、精神力的に来るものがある。今無意識に息が止まっていた。結構交感神経に来るけいの作業なのかもしれない。キーボードから手を離せないので、スマホでセットした15分タイマーが今何分を示しているのかがわからない。終が見えない作業は非常につらく苦しいものだ。
高校時代のラグビー部の練習を思い出した。不甲斐ないプレー、遅刻等が生じた際に監督命令で発生する懲罰ランニングは、大抵の場合何回何周走ればOKみたいなスコアリミとが無制限で、大体最終下校時刻との兼ね合い、または監督の期限との兼ね合いで終が判断される。
純粋にランニングがきついのはもちろん、終わりの見えなさそれ自体にも、きつさを誘発する性質的なものがあるんじゃないだろうかと思う。
当たり前のことをつらつら書いているだけのようになってしまう。脳みそのリミッターを外すためのアクティビティのはずなのに、そうやって書き殴っている間にも反省的な、冷笑的な自分が顔を出してくるのは本当にどうにか並んも。
よく、文章を読んでいると、エキセントリックな論理の飛躍、描写の一点などを駆使して文学性を醸し出してくるタイプの物書きがいるけれど、自分がそうなれる日はいつになるだろうか、よくわからん。
流石に右手が腱鞘炎になりそう。この作業がちょっと楽しくなってきた。矛盾しとる。けど、何かを一心不乱にやっている最中の自分の心境を実況するのって結構楽しい。いま
1セット目、ここでタイマーストップ
2セット目
二セット目開始。一セット目が意外に楽しくなってきたなと思ったらタイマーが鳴ってしまい、肩透かしを食らったような気分になってしまった。やる前は無茶きついなこれと思いながら手を出していなかってけど、やってみたら案外楽しい。自分は暗示にかかりやすい体質っぽく、何事も結構得する立ちだと思う
なにいってんやろ。行間、脳みその思考の余白、手のブレーキをぶっ壊すために、たまに思ってもない言葉がキーボードから出力されてる。脊髄反射的な感じ。聞いてない。何言ってるんやろ俺。二回目。そろそろ書くことなくなってきた。二セット目冒頭といきなり矛盾してる。何いてんやろ俺。そろそろ狂気じみてきた。脳みその合理的思考のスピードを手のアウトプットが超越し始めてる。と思ったらおもっきり手がかじかんで文が止まって脳が追いついた。めちゃ気分割位。なにいってんだよ。あー止まった。文章が止まった。神田。喋りで言うと吃音みたいな感じ?なんか突然手の動きが追いつかなくなってしまった。誤字、ミスタイプを気にしてしまってるからやろか。これをブログ記事のフォーマットに書き込んでるからいけないのかもしれない。FとかPとか、離れたところにあるキーめっちゃ打ちづらいな。インターフェースは人間の想像性の限界を規定する。とかどっかで読んだことある。それか。そのいみだとこの、歯磨き粉のしぶき高誇りの固着だかよくわかんねーもんが不tyを眺めながらなれない長文タイピングを繰り返してるのは、良くないのか?いいのか?よくわからん。なにいってんだ。そろそろあたまがおかしくなってきたとおもわれそう。iya,
yomuyatuorannyarokonnnann.
henntaika?
もしいたら一回話してみたいね。そいつが何考えながら生きてんのか不思議だわ。バイト化勉強家睡眠家オナニー0か何か、これ以外の別のことしてたほうが遥かに有意義だと思うよ。じゃあ俺はなんでこんなsダ行をしているのか。おれにもわからない。多分深夜テンション。
深夜テンションってすごいよね。良いとは違って明らかにテンションのリミッターとかがおかしくなってるのに理性はちょっと残ってるっていうか。テンション高くなってるけど自画や合理的な思考は唸ってないっつーか、そんなかんじよ。
これ、マジでt誰にも読まれんかたらちょっと悲しいな。誰かに読ませられる体裁をと整えたりしてないし、改めてするのも面倒だからしないけどさ。承認欲求からは絶対に逃れられない。サメからは絶対の逃れられないっていうアメリカのサメ系Bきゅうくそえいがのキャッチコピーっぽくて宇検?うけんか。
かいごうをどこではさんでるのかわかんない。もし万が一、電子の海にいる何十億人かの誰かにここkまでの文字列を長得ている人がいたら聴きたい。今俺どんな感じの文章打ってる?狂気じみてる?朝見返して恥ずかしくなりそう?そもそも流し読みしてて内容頭に入ってきてない?わかる。俺もないよう考えながら売ってねーし。リアルガチでそのまま円絵年独り言をキーボードに向かって叩きつけてる感じっすよ。意外と楽しいからやってみ。そういう変態仲間が欲しいな。大学の連中にこのこと言ったらまじでキチガイ扱いされると思う。昼夜逆転と暇と自意識が被さると人間ここまでよくわからんくなるよ。狂人の真似をして大路を走らばそれすなわち強靭なり。さっきみたニコ動の動画にコメントなだれてた。そんなkんあんじだ。ラッパー見たくなってきたな。接続が雑。そんなかんじってどんなかんじやねん、俺しかわからん感覚やろ。狩りにも表現媒体として文章を使っているならそんな感じとかいう曖昧な表現に逃げないで欲しい。これな内政じゃなくてラッパーひあはん。消費者は馬鹿なのでもっと具体犯して欲しい。マジで疲れてきた。
早よタイマーならないかな。これ書き上げて何おするのか。まとまった量の文章を生産する予定はあいにくない。趣味でやってる読書感想文意外に文章を書く機会なんてもんはない。卒論もない。レポートがあったわ。今思い出した。でもどーせ一冊本読んでコピペしてちょっとこうさつするだけだろうから、そんなに苦にならないと思う。まとまった文章生産って感じじゃない。A4二枚で終わるんやぜ?俺今多分何千文字か書いてるけど、それだけでとりあえずA4二枚以上は言ってるもん。これ地味に考えると
2セット目終了
3セット目開始
まだまだ続く与良イッティングマラソン。多分眠れずに寝床でスマホ弄り続けとるよりは有意義だと信じている。今PCのうらのペットボトルが倒れて変なな音たててまじでびっくりした。心臓ちょっと知人だ。ただでさえ最近タバコで血圧上がってる感じするんだから勘弁してほし。そろそろ右手の指が限界。スピードが超絶落ちてきた。書きたくねえうそ描きたい。ばーかうそだよ。誰にいてっるんだろう。少なくともここまで読んだあなたにではないよ。こんな魑魅魍魎を目に入れてくれてありがとう。できるだけ口語表現を挟まずにこのアクティビティをやっていきたいんだけど、一応なんの制約もなく脳内の文章を吐き出そうとしているとどうしても方言だったり口語表現が混じっちゃうね。それはしょうがないね。なににってんのやろ。なんかまを持たせるために何言ってんやろって言ってる。思考がそっちに逃げてる。エアポケット的な思考の空欄が発生するようになってきた。虚無スポット。またなにいてtんだろ。また逃げた。そろそろ連続的に文章を紡ぎ出すのがマジで苦しくなってきた。フリー0スタイルラッパーとかすごくない?なんであんなmyラクラクを繋げた話を一人で十分とか出来るんりゃろね?輪入道いいよ。聞いてみて欲しい。二枚目のアルバムがおすすめ。一枚目はなんか昭和臭かった。なにいってんだろ。また逃げたなお前。自己言及的な、自己検閲的な、内省的な視点を投げ捨てる、音を置き去りにするじゃないけど、そういう目的のためにいまこれっをやってるんだから自分へのメタな批判をやめろ。メタをやめろ。メタ大好きか。俺はメタが好きなのか。誰かやアニカに対すて上から語るのが大好きなのか。そう言われたら決して否定できない。語る対象がどうしても自分とかそんな感じになってしまう。他社を語ろう。そういえば哲学的にいう他社って別に人間に限らないらしいっすよ。すごいよね。値にがすごいかはよくわからん。でも國分浩一郎っていう東大白紙での先生が言ってた。だからすごい。権威主義万歳。暇と退屈の倫理学っていう本屋で。おすすめ
長いけど。なんか思想史の概略みたいな感じになった本で、最終的に、慢性的な虚無感や退屈に対して現代人はどう立ち向かっていく勝手結論を導き出そうとしてるんやけど、哲学者各々のしそうの紹介が普通に勉強になるから、ちょっと違う視点で学術書読むのが楽しい人とか、おすすめしたい。あれよ、お酒の世界史、とかそういうかんじの歴史書が好きな人にはおすすめ。わかるか?わかるか?わかるか?今日人事見てきた。こういうふうにマジで何も考えずに、いや全部考えてるのか。そういうふうにしながら出てくる言葉ってやっぱりそいつの辞書の中に固着しているコトバだと思ってて、それってほかの文章やべしゃりをやるときにもmuisikinitayottesimaigati1de、さすがに日本語じゃないのはやばい。じm¥ぶんでよみかえすことすらできなくなったらいよいよむかちだ。一瞬画面を見て英字入力になっててぼぼった。ぼぼったってなんやねん・。びびったんだよ。つかれた。腰がいたい
BGMのゆーちゅーぶが耳に入ってくる耳鳴りみたい。耳鳴りではないか。普通にギターの音声です。ギターといえば、一年の秋にギターを買ってんだけど、結局曲を弾くためにアンプを繋いだりコードを覚えたり、スローテンポでノーミスを維持できるように練習するみたいなのがすとれすで全然左腕なくなってしまった。やっぱ誰かほかのメンバーがいないとああいうのは長続きできないのかも。強制力というか。一人でアンプに繋がず運指の練習しとるだけって相当やばい。虚無に襲われる。なんでか知らんけど強めに抑えても元がぶれるし、左手の指の構造的にバレーコードは抑えられないし。嘘ついた。バレーコードに挑戦する以前でギターは埃かぶってる。すごいとおもう。俺もなんか楽器できるようになりたかった。プログラミングとか、絵とか、文章とか、そういう生産的な特殊技能が欲しい。絵は、中学時代唯一氷帝がご段階中の2で萎えた。技法も知らない、アイデアもわかないy蔵帯で絵を格好としてもなかなか辛いものがある。いまだったらかけるのかな?いまだったら、この年になってえを練習し始める自意識に負けてしまう気がする。えは文章と違って、自分の下手さが
3セット目終了
4セット目開始
四セット目。先の絵の話とかが面白くなってきたので話題をつなげられるよ。最近思うのが、インターネットの発達ってえを練習するにはだいぶ不向きな環境なんじゃねーかなって思う。だって、よっぽど負けん気やがむしゃら精神が強くないと、常に自分より上手いえがインターネットに大量に流れてくるのを見て落胆する羽目になるわけじゃない?それってなかなかきびしいよね。天才はそこで悔しがって奮起するタイプの人間だってにちゃんのまとめサイトのれすで誰かが言ってたけど、信ぴょう性は別として俺もその意見には賛成です。でもその負けん気を保つのが難しい。多分俺が絵を書こうとしたらそのへんの相対的支店に押しつぶされてしまう。
じゃあ例えばプログラミングはどうkあ?最近は理系のドクターが、機械学習やら人工知能やらIOTやらVRやら、なんやらかんyらで大ブームだ。匿名質問箱を作ってばずらせて、それをIT企業に売却して人ああ遺産築いた人間のついったーあああうんとをこないだみた。スキルは力だ。当奥大を中退した人間も、WEBデザイン系の開発スキルをもとでにフリーランス、企業を経て今はそこそこのポジションに収まってるっぽい。その人とは何回か飲んだことあるけど、こういうたいうんでもなんとかなるんやなという勇気を与えてくれた。そんでプログラミングにも興味を覚えて、インターン行ったりとかしてはみたものの、
ループ構文ってあるやん。あれで、カッコの数合わせとか、そういうショーもない細かいところでどうしてもエディタと性格が合わなくて、作業が進まなくて、イラついて、挫折。そもそも作りたいものがないのに、技術だけ得るつもりで開発言語に触れるのって無理があると思うんよね。人間誰しも絶対手段として歯科技能を習得することはないと思うんですよ。ゲーム作りたいとか、面白いアプリ作りたいとか、そういうゴール設定が先にあって、その手段としてプログラミングを学んでいくんだとお思う。そういういみでは、やりたいことがとになく、なんとなく使えそう、カッケーくらいの感覚でプログラミング言語に触れた自分は、まだ熱意的なもんが足りんのやと思う。もしくは、面白みを感じるための感受性。ジャンケンアプリ作っても俺あんまり面白くなかったもんね。なんでかわからんけど。テキストほぼ丸パクリだったからかもしれない。なにいってんだ。ここまで読んだ人間とかおらんと思うけど、お察しのとおり筆がつまりました。じゃあ文章の話をしよう。そういう絵とかプログラミングとかギターの挫折があって、ようややく?たどり着いたジャンルが文章なんすよね。一様ネイティブ言語で何かを言うだけ。初期の参入障壁はほかのどのジャンルよりも低いと思う。異論はないと思う。だからかわかんないけど、とりあえず一年ブログ継続する程度のことはできている。運動も、上述したような特殊技能もできないじぶんにとって、gutaitekina
zibunnno
スキルとしての拠り所は、多少学力があって中小的思考が嫌いじゃないくて、本を読むのが好きなことくらいしかないんですよ。要素分解すると。でもとっさのライティングをしながら三つも出てきたってことはやっぱりプライドが高いのかもしれへんな。ともあれ、そういう自分が生産手段、スキルの確かな形として文章に救済を求めに走ったのはやっぱ必然的なものがあったとはおもう。べつに小説書いたり歌詞書いたりしてるわけじゃない。たまに気が向いた時に内心を文章によってゲロゲロ吐き出してる朱。実際に音声にして発するとおぞましい、カタカタ敷いことばでも、紙の上、モニターの上でなら一段階フィルターが掛かって柿安い。下記が安いってなっててうける。一瞬モニター見返したらダメだね。破綻してる感じが面白くなってしまう。話を戻すと、そうこうかっとうがあって、今こんなこともやってみたりしてるわけだ。文章をいっこスキルセットの一つとして加えたい。それでなんか具体的な能力をアピールして、自己肯定感を貯めたい。俺はそのためにいま文章トレーニングをやっている。今思いついたんだけど、就職したら週末に単価教室とか脚本教室みたいなやつに通ってみようかな。俺が馬鹿にしてる声優専門学校に通うオタクみたいなことをすることを思いついて、我ながらちょっと笑ってるよ。学校通って学んでるだけで何者かになれたような気持ちを得るん。でも、形から入るのは簡単で悪くない。そこから目が出せるかはそいつ自身だ。
4セット目終わり
2017年読んだ本10選(後半)
2017年に読んだ本を10個選んで紹介企画。
こないだ公開した記事の後編やっていきたいと思います。
ここまで前半で紹介したので、以下五冊をこの記事で紹介します。
- 『メタ倫理学入門』佐藤岳詩
- 『勉強の哲学』千葉雅也
- 『BUTTER』柚木麻子
- 『ライ麦畑でつかまえて』サリンジャー
では早速やっていきましょう。
暇と退屈の倫理学
瀕死の体で内定を取って以降、死ぬほど退屈だった時期にTUTAYAでジャケ買いした本です。
著者の國分功一郎さんは、
・暇=人間の生活に余った時間がある状態
・退屈=ある時間をつまらなく感じてしまう心の状態
と定義して、退屈を克服し、できるだけ充実した人生を送るにはどのように生きたらいいか?(倫理学)というテーマに取り組んでいます。
内容は決して短くはありませんが、その過程はとてもわかりやすく、哲学史的にも勉強になります。
結論には賛否両論あるかとは思われますが、國分さんも作中で書かれているとおり、この問題について読み進める中で、答えを得るために自分なりに頭を働かしていくこと自体に意義があると思います。
メタ倫理学入門
メタ倫理学ってなんやねん。ごもっともです。ぼくも門外漢ですし。
メタ倫理学とは、「どのように生きるのが良いか」を考える倫理学分野の一種であり、一歩引いた立場(メタな立場)で倫理を考える学問のこと、らしい。
具体的に書くと、
「どんな生き方が良いかっつーけど、そもそも良く生きる必要あんの?楽しく生きてきゃ問題なくね?」
「道徳とか不道徳とか言うけど、結局そんなん人の主観次第、状況次第じゃね?」
「いや、まずそもそも道徳ってなんやねん!どーいう意味で言ってんの?」
といった、倫理学における「そもそも」について考えていく分野をメタ倫理学というそうです。ちなみに日本では、この本が唯一最初の入門書らしい。
とっつきにくいと感じる人も多いかもですが、身近な具体例を散りばめながら、各論に深入りしすぎないように構成されているためとても読みやすいです。
上の具体例みたいな疑問を抱くことは誰にでもあると思いますが、そういう日常的な感覚を、本を使って突き詰めて考えてみるのは意外と楽しいっすよ。
勉強の哲学
ぼくはミーハーなので、帯の「東大・京大~」を見て手に取りました笑
勉強する、ということはどういうことか?について考察している本です。
この本で覚えているのが、
「一般的に勉強は知識を獲得する営みだと思われているが、どちらかというと古い見方・考え方を破棄・更新する点で、脱皮に近い」
「能動的に勉強するとは、所属コミュニティのノリを一時的に外れること。誤解を恐れず言うとキモくなることである」
ここらへんのフレーズですね。
勉強という活動が及ぼす自己への変化だけではなく、それが及ぼす外界との関係の変化について言及しているのが新鮮で面白かったです。キモさを恐れずやっていきたい。
ちなみに、ここまであげた3冊は全部学部の勉強なんかとは全く関係ないです。
人文思想系の本を専攻も関係なく読んでるの、それこそコミュニティでキモがられて浮きそうっすよね笑
しかし、こうした類の本を読むことで、自分の無意識的価値観を認識したり、他者の価値観に寛容になれたりといった利点が生まれることもあるかと思います。
まあ、頭でっかちになっちゃったら意味ないんですけどね。
そのへんの勉強の弊害に関しても、『勉強の哲学』では言及されてます。
BUTTER
はい、かってぇテイストの本ばっかりだったんで小説行きましょう。
結婚詐欺&殺人容疑で逮捕された女性にたいして、週刊誌記者が独占インタビューを挑むという筋書き。
本作はこの、木嶋早苗容疑者の事件をモデルにして書かれているそうです。結構話題性ある事件だったので、この時点で興味を引かれる人もいるんじゃないでしょうか?
内容自体も、獄中の人間に主人公が徐々にのめりこんでいく様がめっちゃスリリングでおすすめ。直木賞最終候補に残った秀作ですよ。
あと、地味に飯テロ小説です笑
これも感想記事書いてるんでよかったら。
柚木麻子『BUTTER』:しがらみに苦しむ現代人にオススメの直木賞候補作 - 学生読書日誌
ライ麦畑でつかまえて
「あーなんか、タイトルだけ知ってるわ」って人が多いんじゃないでしょうか。
有名な古典的ジュブナイル小説ですね。
端的に紹介するなら、人間潔癖症の青年の苦悩を描いた作品です。
印象的だったのは、主人公が
「一面に広がるライ麦畑で遊びまわる子供たちが、道をそれて崖から落ちてしまいそうになった時、それを抱きつかまえて畑へ帰してあげるような仕事だけをしていたい」
と吐き出すシーンです。
甘ったれてる!でも、なんかその気持ちわかるわ……と趣深い感情に襲われました。
就活を経験した一般家庭の人間なら、少し共感できるんじゃないでしょうか。
これも個別記事あるのでぜひ……
まとめ
前半と合わせて、以上10選が個人的2017年TOP10ですかね。
とりあえず、読んで損はしないと言えるセレクションだと自負しておりますので、よろしければいずれかを手に取ってみてください!
古典SF『幼年期の終わり』 の感想・考察
うじうじと過去を懐かしむようなことだけはしたくなかった 。余生を過ごしていけるだけの物資はある 。
何より欲しかったのは 、電子ピアノとバッハの楽譜だった 。これまでは音楽に時間を費やすことができなかった 。それをいまから取り返そうと決めていた 。(中略)ジャンは昔から優れたピアニストだった 。そしていま 、彼は世界最高のピアニストだった 。
新年の挨拶のために祖父母宅へ向かう電車の中で読んだこの小説がめちゃくちゃ良かったので、新年1発目の感想記事を書こうと思う。
この文章で本作への興味を引けるかはなんとも言えないが、ぜひ多くの人に読んでみてほしい作品だったので、もしよければ。
表紙はこちら。自分が読んだ版とは違うが、そこはご容赦ください。
あらすじ(光文社新訳版)
ある日、地球上空に巨大な宇宙船が現れ、宇宙船の主たち、オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は、超越的な知性と科学力で姿を見せぬまま人類を統治し、平和で理想的な社会を地球にもたらす。
その舞台設定の中で、
・未知との遭遇を果たした人類は、彼らとどのように関わるのか?
・オーヴァーロードたちの真の目的はいったい何なのか?
・そして、人類はどこへ向かうことになるのか?幼年期の終わりとはどういう意味か?
といった様々な視点から物語が展開していくのが本作の構造である。
この話は、いわゆるエイリアンへの抵抗を繰り広げるような宇宙戦争的なモノではない。
本作の世界では、序章が終わった時点で、人類は手も足も出ずに征服されきっている。
だが、その征服のあり方は非常に良心的(?)だ。
彼らは国連を介して人類に的確なアドバイスを与えながら、自身らの卓越した科学技術を駆使することで、みるみるうちに、争いが無く生活水準も向上した理想の世界を実現させる。
例えば、
・世界ではもはや計画的犯罪は起こりえない(犯罪に手を染めずとも、全人類が豊かな暮らしを送れる)
・思想対立を発端とする紛争も生じない(圧倒的な上位者が君臨したことで、人類レベルで思想の優劣を競う行為は無意味になった)
・環境の問題はオーヴァーロードたちの超越的テクノロジーによって解決
などなど。
読者が直感的に思い浮かべたような、理想のグローバル社会がそこに生まれたのだ。
しかし、オーヴァーロードたちは、なぜ地球人類にそのような恩恵をもたらし、管理・保護してくれるのか?
その根本的な目的は、彼らのだれも語ろうとはしない。第一章においては彼らはその姿すら現さない。
そうしたオーヴァーロードらのスタンスは、一部の地球人類のささやかな不信を買うことになる。実際、第一章、二章においては、オーヴァーロードに懐疑を抱いてしまった人間たちの果敢な行動を起点に物語が展開する。
そして、オーヴァーロードが飛来してから数十年。
もはや人類にとって彼らの存在があたりまえになり、オーヴァーロードネイティブとでも呼ぶべき新世代の子ども達が生まれたとき、彼らの目的は明かされ、物語はクライマックスを迎える。
感想
まず、ざーっと読んでの感想として、とても訳文がこなれていて読みやすい。平易ではあるけれど、原文著者が込めた皮肉やユーモアのニュアンスは上手く残されている。
また、SFとしてのテクノロジー描写自体も、たいして古臭さを感じさせない。
異星の様子をはじめとする数々の情景描写は、とてもスケールが大きくて美しい。
※以下、内容面のネタバレ
内容面で良かったのはやはり第三章。
オーヴァーロードたちの目的が明らかになり、地球人類の趨勢が決定づけられてからの描写だと思う。
オーヴァーロードたちは、実は宇宙を統べる超強力な精神体「オーヴァーマインド」に奉仕する種族であった。
その能力を活かして、宇宙に存在する知的生命体が、オーヴァーマインドの一部へと進化することを促進する役目を負わされている。
その進化の種として今回選ばれたのが地球人類というわけである。
そして、新世代の子供たちは、もはや親たち旧世代には理解の及ばぬ存在へと変貌を遂げ、最終的にはオーヴァーマインドへと進化し、彼らと一体化する。
この変貌・進化・統合の過程こそが、本作タイトル「幼年期の終わり」の意味であり、すなわち人類史の終わりだ。
この第三章で個人的にツボったのが、オーヴァーロード自身は、人類のようにオーヴァーマインドへ進化する可能性が無いと断言されていることだ。
確かに卓越した能力、科学技術、知性を持ってはいるが、しょせんそこまで。
彼ら自身はすでに完成されてしまっており、社会や種族としての発展はすでに袋小路だというのだ。
しかし、彼らは自らの運命に絶望しない。
数々の知的生命体の進化を促していく中で、どこかにその袋小路を打ち破る鍵がないかと懸命にあがいているのである。
卑近な例を出すなら、怪我して選手生命を絶たれてしまいながらも、コーチ、マネージャーに転身する人間の悲哀だろうか。
あるいは、自分には非凡な才能はないと知りながらも、作家の創作活動をサポートして名作を生み出そうとする編集者の涙ぐましさか。
この辺の切なさは本作の大きな魅力だと思う。
また、冒頭にも引用したが、ラストシーンである事情から、ジャンという旧人類の青年が唯一の人類の生き残りとして地球に残り、滅びを見届けることを選択する。
科学者だった彼は、自らの余生の短さを悟り、過去に才能の面で諦めたピアノに再度向き合い没頭する。なんせ彼は、今や世界最高のピアニストなのだから。
ここの、覆せない終わりを見据えつつも、自分のやりたいことに向き合うというシーンには、描写の美しさもありとても感動させられた。
考察
感想でも書いたが、ジャンやオーヴァーロードたちの、自分にはどうにもできない状況の中でもできることをする、足掻く姿の気高さのようなものが非常に強く印象に残った。
これはまさしく、著者クラークの読者へのメッセージではなかろうか?
いずれすべてが無に帰すとしても、虚無を克服して絶望に立ち向かうべきだ。
なぜなら、結果ではなくその過程こそが気高く美しいものだから。
そんな人間賛歌を、自分は本作から感じ取った。
- 作者: アーサー C クラーク,福島正実
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/12/21
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