学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』を読みました

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以前購入報告だけして、残り3分の1ページ程度で積んでいた本作ですが、ひとまず読みきりましたのでこれについて書こうと思います。

学問としての文学、メタな視点、俯瞰的思考、哲学、皮肉(笑)などが好きな人にはすごくオススメの本でした。


この本の主題はずばり「もっと気楽に読んで書いて語ろうぜ」ということではないでしょうか。


この本は、未読の程度、語る必要のある状況、語る際の心構え、という三部構成で進む中で、再三、読書体験の曖昧さ、不確定さ、主観性を強調します。

より詳細に言うと、そもそも読書において「完読」という状態は、ラーメンの完飲とは違って定義不能だということを説明しており、それゆえ、他人と本について語る際にも、誰にも本当に読んでいるかどうかを確かめようがないという事です。

これがなぜ起こりうるのかという理由については、ひとえに人間の記憶や認知の曖昧さが原因だと書かれています。

実際、「一度完読したはいいものの内容をあまり覚えていない本」と、「あらすじは知っているが一度も開いたことがない本」の間に、実質的にどんな違いがあるのか?と問われてしまえば、自己満足以上の回答を返すのは非常に困難です。

だからこそ、臆せず未読の本についても積極的に語ってしまえばいい。書物への神聖視やコンプレックスゆえに、知的に鈍重になるのは避けろ。というようなメッセージを著者は込めているのでしょう。


また、こうして三部に分けて読書神聖視を解きほぐそうとする中で、"本について語る行為"そのものの意義についても言及しています。

これはつまり、批評行為をどのように捉えるかということですが、著者は、批評はもはや対象と独立した創造性、芸術性を備えているのだとします。

それはさながら、芸術家が風景を描く際の対象はそのモチーフにあるが、その作品の素晴らしさは芸術家の創造性に由来する、という芸術と主題の関係です。

そして、批評がなぜこうした独立性を持てるのかというところに、著者の上述のような思考が反映されています。

批評行為は著者にとって、その本が他の本との関係の中でどのような位置付けにあるか、その本には描かれていないどのような周辺イメージが得られたか、その本を通じて自分のにどのようなインスピレーションがあったかを述べるものだと言います。

この本の中では過去の作家たちの批評などが引用されますが、事実このいずれかの体裁をとっているように見えます。

つまり、文学上の位置付け、あらすじや断片、本を通じた自分についてを語るだけで、本の批評は成り立つのだということを論証していると言えます。

これらの要素には、本を精読している必要はほぼありません。そして、このように批評と原作に距離があっても批評行為が可能だからこそ、前述した独立性が成り立つのです。


そして、こうした文学的な態度を取る上では、その本が書物全体の中でどのような位置付けにいるか、その本の概略・趣旨がどのようなものかという理解だけがあればいいとのこと。ここでは、精読はむしろディテールに足をとらわれて俯瞰的な理解を妨げうるものだとしています。

タイトルがハウツー本っぽくはありますが、実際にハウツーな要素があるのはこの辺くらいです。逆に言えば、こうした、浅くとも俯瞰的な理解が文学的教養の真髄だと著者は考えているのでしょう。


感想文ブログなんて書いている身としては、実際にこの本を読んでいてかなり勇気をもらえたと共に、面白い感想解説記事を書くことの難しさを痛感させられた思いです。

上述の、批評の創造性のところで著者も言及している通り、面白い批評文はある意味で原作から乖離しているんですよね。ただ本の感想を書いたり、本の内容を紹介するだけでは、読書感想文や書店のPOPと変わらないってことでしょうか。

こういうブログをやってる以上、やっぱり人並みの虚栄心なんかは持ち合わせているわけですが、その本から得られた周辺イメージなど、意識的には出来てないとこで参考にできそうなものが多かったので、今後とも文章力向上を目指して散文を書き連ねたいなと思います。


冒頭の通り、自分の思考回路なんかを立ち止まって一歩引いて眺めてみたい方にはオススメです。


伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』を読みました

この週末、仙台ではストリートジャズフェスティバルなる催しが行われ、街中は歌やアコースティックバンドで賑わい、夏の終わりの寂寥感を吹き飛ばす様な活気に満ちています。

自転車移動が億劫になるレベルで道が混むのがたまにキズですが、こうしたイベントが毎シーズン盛んなのが仙台の良いところだと思います。

そんなことを考えながらフラついていたら、この間読んだ伊坂幸太郎作品を思い出したので感想書いてみようと思います。


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今回読んだのは『アイネクライネナハトムジーク』。伊坂作品には珍しく、恋愛が主題におかれた連作短編集で、各々の物語では、キャラ達の初々しい出会いがフォーカスされています。

元々の執筆のきっかけは、あの斉藤和義から受けた作詞のオファーだそうで、「詩は書けないが物語なら」と"出会い"をテーマにした短編を提供したとのこと。その際描かれた巻頭短編がベースとなったのが本作です。

こうした風変わりなきっかけゆえか、作中には"斉藤さん"なる占い師の様なサブキャラが随所に登場し、それらのシーンでは斉藤和義の曲が引用されています。

生憎ぼくは斉藤和義には疎いのですが、ファンの方はより一層楽しめるのでは。


さて、伊坂幸太郎の魅力と言えば、超絶技巧じみた構成、飄々として魅力的なキャラクター、そして仙台愛(笑)ですが、本作でもそれらがふんだんに発揮されています。

余談ですが、伊坂作品の映像化は大半がキッチリ仙台で撮られてます。


まず構成に関してですが、『グラスホッパー』『アヒルと鴨のコインロッカー』などで見られたような、小さな情景描写を後のクライマックスの呼び水にするような書き方が、相変わらず非常に見事ですね。

例えば、作中の一編『ライトヘビー』では、語り手の女性が電話越しの男と仲を深めていく様子が描かれるのですが、男の正体が明かされた時の驚きと納得感はとても気持ち良かったです(笑)

「男が電話に出られない時期」「友人の読んでいる雑誌の記事」など、初見では気づけないような小さなヒントが散りばめられていたことに後から気づき、爽快に驚かされることが出来ます。

こうも上手く驚かされると、『アクロイド殺し』や『殺戮に至る病』のようなガチガチの叙述トリックミステリーを作者の手で書いて欲しいと思わされますね。『アヒル〜』の構成は割とそんな感じでしたが。


また、短編を跨いだ登場人物たちの関係性の面白さも健在ですね。

本作ではほぼ全ての登場人物が2つ以上の短編を跨いで現れており、従来作品に増して相関図が複雑なのですが(笑)、そのぶん多角的な人物像が垣間見えて味わい深いと思います。


また個人的に気に入ったのが(タイトルは覚えていないのですが)、地下駐輪場の無銭利用者を突き止める高校生たちの話でした。

市民にはお馴染みなのですが、仙台には街中に地下駐輪場が備わっており、その絶妙な使いにくさは最早定番ネタと化しています。それこそ、¥60をケチって路上駐輪する老若男女が後を絶たないほど。

こんなもんどう料理するんだと言いたいスーパーローカルネタを取り上げつつも、上述した作者の強みや高校生男女の纏う青春感は遺憾無く発揮されており、改めて、伊坂幸太郎の筆力には舌を巻くばかりです。



これくらいで今回は終わります。

伊坂ファン、斉藤和義ファンには勿論のこと、仙台市民や日常系のエンタメが好きな人は是非読んでみてほしいなと思います。


『読んでいない本について堂々と語る方法』をまだ読んでいません

ついに列島から雨雲が過ぎ去りましたね。

家、バイト先、チェーン店を往復する最高に勿体無い夏休みを送っているインドア学生といえど、1ヶ月ぶりの快晴には心が踊ります。


今日はピエール・パイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』を買い、バイト前に読み進めてやろうと思います。

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この本について書くなら、「まだ読んでないんすけど……」とかなんとかいいつつ、実際に本に書かれたテクニックを駆使して巧妙にレビューを書き散らす等という、実際に読んだ人にだけ分かる類のジョークをかますのが鉄板なのでしょうが、ぼくはガチで読んでません。

また、マジでこの本を読まずして書評を語るようなテクも持ち合わせていません。

なので、タイトルを見てニヤついている読書家の方には申し訳ないのですが、この記事は馬の骨大学生によるただの購入報告です。

しかしまあ、いかに零細ブログといえどこんなネタのためだけに本を買い求めるほどブルジョアではありません。購入して写メまであげた以上、読み終えた暁には改めて内容を紹介したいと思います。


さて、こうした方法論についてメタ的に書いた本を読み始めたことを、生意気にもwebで公言する。

ぼくの過剰な自意識からするとかなり崖側スレスレではありますが、小手先を活用してでもブログでお勧めしたい面白い本が貯まってきてるんですよね。

矮小なプライドは犬に食わせて、今後は感想記事をもっと充実させていきたいっす。

評判を見ると、皮肉に満ちたタイトルや帯とは対照的にかなりガチな読み方テキストっぽいので、その辺りの実用性もしっかりと汲み取って我が身の糧にしようと思います。

8/23

ようやく空が晴れたからか妙に元気なので、久々に。


先ほど内定先支社にて課されたTOEIC試験が終了しました。

現状の英語力のまずさを実感しつつも、解放感に抗えず小説を読んでいます。

大学生活ではご多分に漏れず、すっかり、受験期の蓄積を腐らせてしまったようで、久々に目にする長文英語に目が滑る思いをしました。

殺生なことに我が御社は、内定式出席要件がTOEICの点数らしい。(ちなみに来年、御社を弊社と呼べるかどうかも点数次第)

同期が意気揚々と東京に繰り出す裏で、悪態をつきながら自宅で煙草をふかしている自分がありありと目に浮かびます。

書きつつ思い出したのですが、自分の隣の受験生は、学生証の代わりに社員証を机に置いていましたね。入社要件を満たしているはずですが、入ってからも常に点数向上を求められるのでしょうか。

直前までウォークマンでリスニングしていた姿には気迫が漂い、どこか、センター試験の時の名も知らぬ同い年たちの様子と同じものを感じました。


最近は勉強のために近所のファミレスに籠ることが多かったのですが、ふらっと入ったマックで、居座りコストの低さを改めて実感しています。100円で何時間でも場所を取っていられるのは非常にありがたい。

まあ、長く居座れるからこそテキストに向かうための焦りが湧きにくいというのは有りますが。

何事も締め切りが見えていないと勢いがつかないタチで、もはや病的なほどの怠惰です。

時間とうまく付き合えるようにならなければと自戒しつつ、そのためには落とし所の見えなくなったこの日記を即刻締めくくるべきだと気付きましたので、今回はこの辺で終わりたいと思います。

就活終了しました

タイトル通りです。

就活終了です。


こないだ書いた記事のうちの最終面接で無事内定を取り、約1年超の就職活動が無事終了しました。

口座か焼け焦げ、母親に泣きつき、どうなることかと思ってはいましたが、上手いこと終わって本当に何よりです。


取り急ぎは英語学習の必要が急浮上したので、今後は大学通って本読みつつバイトしつつ、無事に卒業&入社を決めて社会人になったろうと思います。

内定者課題や研修から中々の難関という雰囲気が濃厚に漂ってますが、面従腹背をモットーに結果を出したいですね。


短いですが、この辺で。

7/27

何を読んだわけでも見たわけでも語りたいわけでもないんすけど、とりまの日記です。


こないだの感想記事が出版社の広報アカの目に留まったぽいんですけど、RTはしてくれませんでした。限界オタク感出してたからかな。


さて、現在リスクヘッジで内定持ってる企業の内定承諾期限がとりあえず8/31なので、昨年5月末からずーーっとやってる就職活動もタイムリミットが迫ってきました。親からのまとまった援助を受けずにやっていくにはそろそろ限界も来ていたので、ちょうどいい頃合いでしょうか。


んでそんな中今週は4社ほど訪ねてきて、先ほど帰宅しました。訪ねたうち1は最終面接。まーぁそんな勝算高くなかったすけどあんま気にせず。訪問した中で良さげな企業もあったんで、週一上京は適度に継続して内定でたら御の字な感じで頑張ります。

今受かってる企業もまあ悪いとこではなさそうなんで、もしまた全落ちしてもゴリゴリっとスキルを吸収して2〜3年で栄転したろうと思います。


今日帰宅したと書きましたが、道中の高速バスでエッセンシャル思考がどうのというビジネス書読んだんですよ。

直近で読んだ本に影響されやすい気質故なのかもしれないですけど、一時期鬱病直前まで突き落とされた就活も、あと1ヶ月って期限がバチッと定まったことでわりとフラットな気持ちで臨めそうっす。期限&目標の設定、大事ですね。


さて、就活、もう二度とやりたくはないんですけど、

・プライドと諦観のバランス感覚がついた

・無数に人前で喋る経験を得た

・負け組カテゴリに分類されてしまったおかげで、平和ボケしてたコンプレックスエンジンがゴリゴリ燃え始めた

などなど、今後アグレッシブに生きていくためのいい経験ではあったかなと思います。


メタ的、俯瞰的に就活構造を嘲笑いつつ、しれっといいトコ決めちまうような就活をしてた人間はまあ特にネットとかでよく見ましたけど、結局自分はそうはなれなかったんで、無理しない程度にポジティブに頑張りたい。

結局、実家の財政はクソやばいし、自分自身の虚栄心もバリバリ現役だし、なんやかんやちゃんと社会コミットしなきゃ生きてけないんですよねぇ。世知辛え。


取り急ぎ金欠がまずい。

来月のクレカ引き落としがすでに予定収入を上回っている。

柚木麻子『BUTTER』:しがらみに苦しむ現代人にオススメの直木賞候補作

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"「何からも追い詰められていない人間を見ると心が苛立つように、誰かにコントロールされているみたい。前にダイエット強制するようなこと言ってごめんね。なんだかね、やわらかくて豊かでのんびりしていく里佳を見ると、不安になったの。恥ずかしいけど、私の好きだった、王子様からどんどん離れていくように見えて」"
(本文より)

メモ帳コピペにつきフォントが不安定かもしれません、ご容赦下さい。


今年の直木賞芥川賞が発表されました。ちょうど発表会見の直前に神保町の三省堂にいて、特集が組まれていたので気になってしまいました。普段からチェックしているわけではないんですけどね。

惜しくも受賞は逃したようですが、候補作のうち一つが今回ご紹介する柚木麻子さんの『BUTTER』です。読んだのが少し前で記憶が曖昧なので詳細度はビミョーですが、よろしければお付き合い下さい。

ひと昔前の、木嶋早苗による結婚詐欺殺人事件から着想を得て書かれたという本作。連続殺人容疑で拘留されている梶井に対して、記者である主人公里佳が独占インタビューを試みて面会を繰り返すうちに、梶井の影響力に周囲の人間関係もろとも身を以て翻弄されていくというストーリーです。
タイトルにもなっており、里佳がグルメの梶井と交流していく中でも再三言及される良質なバターのような、読みやすくかつ濃い読後感の小説でした。
純粋なエンタメ作品としてみても、二転三転する展開にはらはらさせられます。事件を追いながら、獄中の容疑者にじわじわと心身を侵食されていく里佳の様子にページが止まらず、深夜のヒトカラボックスで一気読みしてしまいました。おかげさまで翌日からの生活リズムはぶっ壊れましたが笑

しかし、自分に印象強く残ったのは本作の現代社会風刺のメッセージ性です。
バリキャリ記者里佳をはじめとした、常識やジェンダー等の社会規範に縛られ窮屈さを感じながら生活している人々と、男を手玉にとることで自分の欲望を際限なく発散する梶井との対比から、上に引用したような「苦労していない人間は許せない」という最近の社会に漂う圧迫感、閉塞感をきれいに浮き彫りにしています。
自分は苦労を乗り越えてやってきたんだ。ヌルい人生送っている連中に我慢がならない。こんな感情に心当たりがある人も多いのではないでしょうか。虐待の連鎖や部活動での理不尽な上下関係など、似たような構造の現象は山ほどありふれている気がします。
お恥ずかしながらぼくは、どうしても他人に対してこう感じてしまう側の人間です。情けは人の為ならずと言いますが、何よりも自分が許されるためには他人を許さなければいけません。
読みながら、矛先がこっちを向いているな。この辺改めないといけないなと思わされました。
実際作中では、梶井との面会を継続している影響で太り始めてしまった里佳に対して、恋人、親友、同僚などから予想もしていなかったほどの叱責が飛んできます。その過程を経て、里佳は「人々が秘めている放漫に生きる人間への嫉妬」「他人へのあるべき姿の押し付け」という風潮を発見し、自分もそうした黒い感情やある種の偏見を他人に抱いてしまっていることを自覚します。

しかし、物語が終盤へ近づき、梶井の人物像が徐々に深掘りされ、事件の輪郭が明らかになっていくにつれて、上記のような、"他人という存在"に無意識的につきまとう様々なしがらみを振りほどいていく里佳の様子には、きっと爽快感と勇気をもらえると思います。

本作は、梶井の脅威と事件の全貌に迫っていくエンタメ的な面白さと、事件を通して里佳が自他への優しさ、寛容さを掴み取っていく成長物語のような面白さと、一粒で二度美味しい小説でした。
柚木麻子さんの著作は本作の後に数冊読んだのですが、いずれも、時にこちらの内面にまで切っ先が届いてくるキレッキレの風刺と、様々な壁に果敢に立ち向かい、各々が抱える問題を乗り越えていくたくましいキャラクター像が非常に魅力的です。
直木賞候補にもなった力作ですので、ぜひ読んでみて下さい。