学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

15日目?

晴れ。しかし寒い。

さて、インターン中に38度超えの高熱を発症し、かなりモチベーションが削がれてしまった。

気持ちをバイト感覚にシフトして、良くも悪くも結果に執着せずに滞りなく終えたいと思う。

帰宅後、とりあえず興味の持てそうな企業にプレエントリーを繰り返す。

中には任意でブログを教えろなんて企業もあり、一瞬このブログの存在を思い出しURL貼ったろーかと考えたが、記事での言葉遣いが悪すぎて一瞬にとどまった。

最近は無い内定でもいいかな?と思い始めてきた。危ない傾向だ。

躁鬱の振れ幅はあるが、最近めっきり鬱、虚無、無気力のガワに偏っている気がする。

4月から大学が始まればまた少しはマシになるだろうか。

伊藤計劃の『ハーモニー』を読みました

もしかしたら、誰もがこのゲームから降りたがっていて、けれど世間の空気というやつがあまりに手ごわい関門なので、降りることを諦めてしまっているのではないだろうか。

人は見たいものしか見ない、なんて言葉は様々な作品でそれっぽく意味深に語られますが、それが正しいなら、就活に中指を立てているぼくがこのフレーズを思わず引用してしまうのも、自明で仕方ないことでしょう。

 

さて、今日は某ソフトウェア会社のインターン休日で、天気は珍しく曇天模様。朝方には雨も降ったのか、不快でない程度の湿り気。

休日とは言っても、午前中にSkype面接を一件こなしてすでに疲労度はなかなかのもの。

気分転換も兼ねて、毎度のごとく駅へ出向きカフェに腰をおろしました。

 

休日恒例となった一冊読破。今回自分が選んだのは、夭逝のSF作家伊藤計劃の『ハーモニー』です。高校時代に読んだのですが、この間の『虐殺器官』劇場版を見て再び本棚から取り出しました。ちなみに、冒頭のフレーズは作中中盤の主人公の独白です。

 

この作品は虐殺器官と世界観を共有しており、軽く紹介すると、『虐殺器官』のクライマックスに端を発した「大災禍」と呼ばれる混沌の反動で築き上げられた、徹底的な福祉厚生管理社会を舞台としています。

成人になれば、誰もがWatchMe(体内状況監視ソフト)と医療分子(病原排除用ナノマシン)を体に内蔵することを義務付けられ、病気がすっかり駆逐された世界。もう二度と惨状を経験しないために、隣人愛、公共精神、そして健康意識が幼少期から徹底的に教育され、誰もが他人に優しいユートピア。この社会でタバコや酒をやろうもんなら、同調圧力によって社会的信用は失墜してしまいます。

 

そして物語は、そんな社会に”真綿で首を締められるような”息苦しさを感じた3人の少女が、自死を企むところから始まります。

計画の首謀者ミァハは、失敗してしまった主人公トァンと友人キァンを残して一人この世を去りました。

大人になり、なんの因果かWHO(この世界では馬鹿でかい権力を持つ)の官僚として働くトァン。ある日、キァンとランチをしていたその時に、目の前でキァンがテーブルナイフによって自殺を決行します。言葉を失ったトァンですが、上長からの緊急連絡によって、これが世界中で同時多発した集団自殺事件であることが告げられます。

キァンの今際の一言から、トァンは死んだはずのミァハが事件に関与しているのではとの疑念を抱き、捜査を進めていくのですが……

 

 

といったところがあらすじです。毎度長い。

 

まず言及したいのが作品の世界観です。

管理を極めたユートピアディストピアを舞台にした作品は数多くありますが、医療、健康にフォーカスしたものは珍しい気がします。

巻末の解説曰く、伊藤氏が入院中に執筆されたというところが舞台設定にも大きく関わっているようです。究極に平和なことへのストレス、というような表現をされていました。

 

こういうジャンルではありがちなテーマではあるのですが、そうした典型的な枠におさまらない、健全を極めた結果の不健全さやおぞましさみたいなものがこの小説では生々しく伝わってきます。

もしくは、ある種の滑稽さと言ってしまってもいいかもしれません。

実際、私たちは異なる価値観に直面したとき、理解できないことへの不安や恐怖を感じるのみならず、どうにもバカバカしくおかしく思えてしまうことがあると思います。そのあたりの微妙なニュアンスも、この作品ではトァンのシニカルな目線を通していい塩梅で体験できます。

 

それますが、この時勢に改めて読むと、タバコのあたりなどはリアリティをありありと感じます。五輪に伴う飲食店全面禁煙、流石に勘弁してくれませんかね?笑

高額納税者たちのために、せめてもう少し公衆喫煙所を多く設けてはくれないかと思う毎日です。

 

戻しましょう。ぼくのニコ中度合いなんてもんの需要は極低です。

 

大胆かつリアルな世界観も魅力的ですが、『ハーモニー』の主題は、人間の意識とは?ヒトを人たらしめるものとはなんなのか?というところにあります。

作中ではこう語られます。

ある状況において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要になった遺伝子の集合。人間のゲノムは場当たりの継ぎ接ぎで出来ている。(中略)

我々人類が獲得した意識なるこの奇妙な形質を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあろう。(中略)

社会的動物である人間にとって、感情や意識という機能を必要とする環境が、いつの時点でかとっくに過ぎ去っていたら。我々が糖尿病を治療するように、感情や意識を「治療」して脳の機能から消し去ってしまうことに何の躊躇があろうか。

意識の存在問題がどう物語本筋と絡むかはぜひ読んで確かめていただきたいです。

伊藤氏はこれらの表現によって、

「人間が動物的進化の過程で獲得した意識や感情は、生きていくためにそれを必要としないほどにガチガチのシステムを社会が作り上げてしまったら、”無駄な葛藤や悩みをうむ原因”だとかなんとか言って究極的に抹消されるのでは?」

と過激な問題提起をしているのだと思います。

また、それによって逆説的に、本当にヒトを人たらしめるものって何なんだろうね?と読者に問いかけているような気がします。

何なんでしょうか。答えは出せませんね。

 

 

色々語ってきましたが、ぼくは、伊藤氏の作品の一番の魅力は、こうした重厚な世界観やテーマを扱っていながらそれをわかりやすく伝える文章力だと思っています。

皮肉っぽくてロジカルでありながら、フランクで親しみやすさを感じる文体で、山場ではここぞとばかりに文学的でエモーショナルな表現が畳み掛けられます。

『ハーモニー』のクライマックスシーンでも、一度読んだことがあってもなお、ページをめくるたびに現れる言葉に目が惹きつけられて息が詰まってしまいました。

 

こういう、バランスよく、かつ要所で突き抜けるようなエッジの効いた文章を書けるようになりたいものです。

普通のSFとして読むもよし、哲学的に読むもよしです。よろしければぜひ読んでみてください。

 

といったところで、今回は締めようかと思います。

明日も八時おきです。

この浮世離れと俗世の往復生活も折り返し地点ですし、また頑張っていきましょう。

 

9日目

天気は晴れ。地元は気候が非常に快適で過ごしやすい。まともに雨が降っていたのは何日前だろうか。

今日は9日目。

朝にベンチャーにありがちな「今後死ぬ企業、生き残る企業」の講義があり、その後は例のごとく企画書執筆の時間。相変わらずアウトプットのスピードには危機感がある。

朝の講義では、これまたベンチャーにありがちなくだりだが、FB、AppleAmazonを褒め称え、SHARP東芝の例で危機感を煽る流れ。

あぁこの話何度目だろうなと思いながら話半分ぼんやり聞いていたが、前者の米国企業と自社を並べて紹介し始めたときには、予想外で少し失笑してしまった。

こんなナリの文章を書き連ねてはいるが、御社の実績自体にはリスペクトは持っている。

ただ、「そんなに気張らなくてもいいのでは?」と思ってしまうのは自分が斜に構えているからか。

クレバーとゆるふわの両立を目指したい

8日目

天気は晴れ。

ただでさえ鼻炎なのに、今シーズンから花粉症になった気がする。

睡眠不足のせいか、今日は精神衛生があまり良くないため淡白に終わらせたい。

本日8日目。第二課題の中間提出日だったが、提出対象の企画書は未完である。

朝から頭と目の間にフィルターがかかった感覚があり、ほとんど思考がまとまらなかった。

また、昼間にメンターとの座談会が組まれていたのだが、とても真面目に、変にスレてない可愛げのある質問を繰り出す学生や、それにどこか満足げ得意げに答えるメンターの姿を見て、なぜだか急速に就労意識が地に落ちてしまった。

うまく言語化できないが、「会社という存在がその人の人生と不可分になる」前提の雰囲気であり、それが空恐ろしく感じたのだ。

少し印象に残っていた問答がある。

その社員さんは将来やりたいことを聞かれて、「今は企業の財務部の一分野が使うソフトのマネジメントをしているから、ウチのソフトに関して自分が扱える分野をもっと広げたい」と仰っていた。

自分の感情をメチャクチャ気取って表現するなら、「アイデンティティが、他人が作ったに過ぎない"会社組織"の利益に飲み込まれていること」への恐ろしさとでも言おうか。

場末のyoutuberやブロガー達が言うような、レールに乗る恐ろしさとか、企業での安定なんてダサいとかそういう類のことが言いたいのではない。

もっと内省的、哲学的なところの問題だ。

とはいえ、いくら厭世を気取ったところでインターンは続くしESの締め切りは迫るのである。

つくづく自分の社会不適合を自覚するが、それはそれとしてやっていかなければいけない。

淡白に書くとはなんだったのか。課題の企画書は進まないくせに、自分語りを始めればいくらでも長文が書けそうな勢いだ。嫌になったので寝ます。

7日目

天気は晴れ。快晴だったが、風はまだ少し強く吹いていた。

3月一日から地元に帰ってきてまだ2週間と経っていないが、習慣化の省エネ効果をひしひしと体感している。

家から駅まで徒歩8分、路地や住宅が入り混じる駅前感の薄い道をてくてくと歩いて新幹線に乗り、降りた駅の喫煙所とコンビニを経由して西口へ。まっすぐ歩いて左右左と進めば会場の貸し会議室。日々、出発時間も帰宅時間も同じ。

面白みは薄いが、心身は非常に安定する。夜行バスで東京を往復したり、酒や麻雀の後に日の出と共に入眠したり、そんな生活は自明ながら消耗が大きく、疲れを感じる。何よりあっちは寒い。……寒さが一番悪影響な気がする。

そんなこんなで7日目である。もうそろそろ日数的には折り返し地点だ。生活も定着し、ようやく正しい意味でこのインターンに慣れてきた。PCの前で製品企画書とにらめっこするのは骨が折れるが、煙草休憩が実質フリーなのが救いだ。

カリキュラム本体についても、課題についての提出期限がもう少し緩ければもっと楽しめると思うのだが、そこはまあ仕方ない。アウトプットのスピード向上が望まれる。

思えば、頭に浮かんだままをベラベラと喋り倒すのは朝飯前だが、思考を精査して筋道を立て、文章としてカタチに残すというプロセスには、21年間ずっと苦労させられてきた気がする。

決して苦手なつもりは無いが、いかんせん筆が乗る時乗らない時のムラが大きすぎて、自分ごとながらほとんど作業効率の予測がつかない。

感想記事も、内容の要点を書き起こし、そこに、鑑賞中に浮かんだ取り留めもない考えをすくい上げこね回してくっつけているだけなのだが、平気で1時間程度経っていたりする。楽しいからいいけれど。

書き物が楽しいといえば、今日の昼間、大学の友人と久しぶりにLINEを交わしたおかげで、ああ自分は文章を仕事にしたいんだな、との考えがすんなりと腑に落ちた。

まぁ、読書ブログなんてものを始めてしまうくらいだから、気づいてしまえば当然のことである。

今までこれだけ長文で自己言及を書き連ねておきながら、核心に至る契機は他人の言葉というのはなんとも皮肉ではある。

持つべきものは友達だ、なんて言葉で〆てしまえば、少しは綺麗にまとまるだろうか?

6日目

天気は曇りのち晴れ。

南国にしては寒い日で、久々にコートを着て出社した。

本日某社インターン6日目。

朝9時過ぎ駅ナカの喫煙所でサラリーマンたちの醸し出す苦々しい煙の香りや、帰りの新幹線の窓が映しだす住宅街の営みの明かりにも慣れてきた。

今日は5日目までの課題の中間発表が出て、現状a〜d中のD評価だった。最終的にb以上の参加者はかなりの好待遇を受けることになる。

この結果には中々堪えたので、課外中は何やっても良いとのお言葉をありがたく解釈し、帰りの新幹線で過去のインターン参加者の体験談を読み漁り今後の戦略を練った。

今までの暗中模索状態よりはかなり希望が見えてきた気がする。

しかし、かなりフラストレーションが溜まっていたくせに、いざヒントを見てしまうと少しの罪悪感に襲われてしまったあたり、自らの小市民性を自覚する。

気にするな私。勝つためには何だってやるという真剣さだと言い換えよう。元より就活解禁直後の1ヶ月をチップに変えて全ツッパしているわけで、ベタオリなんて選択肢はあり得ないのである。役牌ドラ3なんぼのものか。

インターンに光明が差したからか、帰宅した後も社会性パラメータが落ちず、社会人からのメールを返し、その後何社かにプレエントリーすることができた。解禁一週間を経てついにである。そしてESの設問を見て一気に気持ちが落ち込んだ。

まあ、マルチタスク大嫌い人間としては良くやったところだろう。

今日はこんなところだろうか。

実家パワーで非常に規則正しく過ごしており、未だ遅刻も皆無である。

健全な精神は健康な生活から。これは真理。

岸本佐知子『なんらかの事情』を読みました

駅前のカフェで本を2冊読む、文化的な休日を過ごしたので感想書いていきたいと思います。

今回読んだのは岸本佐知子の『なんらかの事情』。妄想とエッセイが半々になったような短編集です。

著者の岸本さんについては全く知らなかったのですが、本業は翻訳家らしいです。あいにく訳書に読んだことのあるものは無かったのですが、『中二階』だけは名前を聞いたことがありましたので今度読んでみようと思います。

さて、本の内容としては、著者独特の視点から日常に存在するいろいろなものに疑問や面白みを見出し、軽快な文体でばかばかしく描写していく、というエッセイとしてはわりとありがちなものです。

この本のなにがすごいかと言えば、個人的には文章力に裏付けされた茶化し方と、体験談から妄想へ移行する際の怖くなるほどのスムーズさだと思います。

個人的に好きな一編として、

アロマセラピーにハマり真面目に用具にもこだわるようになったが、ほんのふとした瞬間に「アロマでごわす」というフレーズが思いついてしまい、その瞬間何もかもばかばかしくなりアロマから輝きが失われてしまった」

「この後もマイブームにたいして「ざます」「でげす」等々のバリエーションが現れるようになり、今は、自分の人生に対して「ごわす」がつかないように危惧するばかり」

というお話があります。

ともすれば、作家という"高尚な立場"の人間が流行りものを馬鹿にしているように映ってしまうテーマですが、生真面目で素朴な文体とワードセンスの可愛らしさが、そのようなスカした雰囲気を微塵も感じさせません。むしろ純粋に自分の生活と感情を抽出したエピソードなのだろうと好感が持てます。

後者のところについては、アナウンサーの実況とともに黒い翼を生やして空へ飛び立つ力士や、海中を進みながら得意げに案内するカーナビなど、珍妙な話が満載です。

唐突に眠気が来ました。ここについてはぜひご自身でご一読下さい。

ともあれ、真面目に不真面目な雰囲気で日常のものごとに向き合ったゆるく楽しい作品です。

こたつに転がりながらゆるりと読みましょう。辛い時にオススメです。

それではおやすみなさいませ。