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臆病で尊大な読書日誌

大学生の読書感想文

4日目

天気は曇り。コートを着なくても出歩けるのは最高だ。日々のストレス蓄積が大きく、普段目を向けないようなことにも相対的に楽しさを覚える。

今日はインターン4日目。

プログラミングに死ぬほど行き詰まってメンタルも死んだ。俺が放課時間にキャッチアップを図ってイカれた顔でパソコンとにらめっこしている傍ら、人事と歓談しているインスタキラキラ系女子の笑い声が響いていた。勘弁してくれ。

最近やっと謙虚さを手に入れてきたつもりだが、卑屈な領域にまで落ちぶれたくはない。

こうしてバカみたいに金と時間と労力を投資した先に待っているのは週5の8時間以上労働。ツイッターで囁かれていた人間は8時間労働が限界って説がマジなら、我々日本人はサイヤ人か何かだろうか?ドラゴンボール見たことないけど思わず比喩に使ってしまった。

タダでさえ茶番感がオーバーフローしてる上に、自分の人生を食い物にされてる感覚が拭えないこんな就職活動をどうやって頑張れようか。とかいいながらも民間企業が進路としてはベターな選択肢になってしまう自分の残念さ。

ロジカルシンキングが大事らしいが、それが最も強調されるこの戦場に理はあるのか、いや無い。理が無い。無理。無理、無理です。全部終わり。終了閉幕閉店ガラガラ。

芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読みました

駅前の丸善で買った本が中々面白かったので、久々の感想文スタイルでいこうと思います。

今回読んだのは第155回芥川賞受賞作、村田沙耶香著、『コンビニ人間』です。

あらすじとしては、コンビニアルバイトだけが生きがいの36歳未婚女性の社会との関わり方の話です。全く余談ですが映画と違って一文であらすじが終わって感動しています。

さて、なんとかかんとか自分が納得できるような就職先を探して、目下のシューカツに取り組んでいるような私にとっては、主人公のプロフィールは正直眉をひそめてしまうモノ。

しかし主人公からしてみれば、街や社会の光景の一部であるコンビニで、常にコンビニのために合理的な店員として生活することは、自らが「普通」の存在として社会との接点を保つために必要なことなのです。

幼少の頃から所謂サイコパス的で、全く社会に馴染めなかった主人公にとって、自分のような人間でも、制服を身にまとい、挨拶をトレースし、問題なく仕事をこなすだけで「店員」という存在として承認されるコンビニという環境はまさに天職でした。

こういう類の話だと、周囲の同質化の圧力に負けてどうにかして迎合を果たそうとして、それが上手くいくか無惨に失敗して破滅するかのどちらの筋で進むのかと考えてしまいますが、この小説では違いました。

物語終盤、様々な利害関係を考慮してロクデナシの男と同居を始めた主人公。同居人の男の話に納得し、正規の就職をするためにコンビニバイトを辞めてしまいます。

なかば抜け殻状態の主人公でしたが、転職先候補の面接に向かう際に立ち寄ったコンビニで、"コンビニの声"を聞くのです。あそこの陳列がめちゃくちゃで、自動ドアには指紋がついていて、セール品のPOPは全然印象に残らない!

店を出た主人公は、思わず「いらっしゃいませ!」と口にした自分がガラスに映っているのを見て、自分はやはり"店員"としてしかこの世界で意味を果たすことはできないのだと、自らの性質を受け入れるのでした。

このクライマックス、非常に狂気的でいながらもどこかポジティブな印象を感じさせます。

さて、自分はこの結末を読んで、まず真っ先に、この気違い染みた小説を書ける作者の方に興味が湧きました笑

そして、次に思ったのが、これだけ冷静&客観的&俯瞰的な思考回路(むしろ客観的にしか考えられないせいで、異常者になってしまっている)の主人公でも、世界の構成要素として、意味のあるものとして機能する安堵感、つまり承認欲求から逃れられなかったのだなという寂しさでした。

これだけ見事に主人公の異常性を表現していながらも、その動機付けの大元は"人間"として認められたいという気持ちなんですよね。ヤバい人間の出てくる物語はたくさんありますが、この感情から解き放たれているキャラクターはほぼ全く見たことがない気がします。

これに関しては著者の思考の幅の限界というか、人間の限界なのでしょうね。

自分を認識するための理性と感情を持ってしまった人間にとって、根源的に"意味のない存在である"という状態は耐えられない。そんなテーマを言外に感じる小説でした。

めちゃくちゃ淡々としてて読みやすく、オススメです。

3日目

帰宅した瞬間こたつで爆睡。先ほど起床。今日は休日。

日刊ではなくなってしまったがご愛嬌だろう。

昨日は晴天。最近いい天気が続くと思っていたら今日はすっかり曇ってしまった。

少しくらい曇天の方が健全な気がするので歓迎だ。地元は曇っていても暖かい。

昨日は課題の中間提出。最初の課題で難易度もそこまで高くなかったはずだが、中々好調には進まなかった。

上位賞金と内定が思いやられる。

本気でやれば内定は取れると先駆者達が言う。

本気ってなんだ?半ばの気だるさを自覚しつつも、無い内定脱却のために毎日通うことは本気なのか?

アウトプットを求められる作業において、本気の尺度はどこに置かれるべきなのか?

勉強とかならインプット量がその尺度なのだろうが。

今日は何をしようか。最初は大手の選考にキャッチアップするつもりだったのだけど、今日もスーツかと考えたら食指が動かない。そもそも説明会やっているのか?

駅前のカフェにでも行って本を読もうか。

いよいよもって加速していく浮世離れ。

選考のキャッチアップよりも、さっさと進路を得るためのメンタルのキャッチアップが必要な気がする。

要するに就活やりたくない。

2日目

天気は快晴、駅前オフィス街はビル風で煙草が早く燃え尽きる。

某社インターン2日目。

本筋の課題と同時並行でプログラミング演習。プログラミング言語と向き合っているとアスペルガー症候群の人間と会話している気分になる。

自分の幼少期も少しそのケがあったような覚えがある。母親や小学校の担任達には面倒をかけたなと今更ながら罪悪感が湧いてきた。

総じて昨日よりはいいコンディションで乗り切れた。ここ最近睡眠の重要性を痛感する機会が多い。そんな機会は別に欲しくないが、今後一層増えていくのだろう。

社員曰く「このカリキュラムは短距離走じゃなくてマラソンです」とのこと。この言葉をいい感じに自己正当化しつつ、ゆるい気持ちであと18日やっていこう。

にしても、つくづく9時間拘束が人間のギリギリのラインだと思う。新幹線で往復している時間に、ふと人生が圧迫されている感覚がある。努めて時間外にはインターンのことを考えないようにしているが、それでもこのザマだ。

何かに精神を全振りすることにつくづく向いていないタチなのだろうな、という諦観。就活フィルターでは「知的好奇心が強く様々なことに手を出している」だとか、「ゼネラリストでありたい」だとか、良心の痛まない範囲で美化して表現している。

修辞技法は言葉に不可欠だ。日々いい具合に学んでいこう。

1日目

天気は晴れ時々雨。

今日から地元に帰り1ヶ月間のインターン

同期の友人たちがプレエン、合説に取り組んでいて不思議な感覚。

インターンでは初日にしてワーク中に何度か居眠りしてしまった。明日はカフェインを登板させよう。

教わった内容は理解したから許してほしい。大目的に立ち返ることと、ターゲット像を想定すること。ベンチャー企業の好きそうなワードだ。特に前者。

大目的。就活の大目的とはなんだろう。過去のGDでは自分の人生を豊かにする選択肢の1つと答えた覚えがある。

労働は人生を豊かにするのか?

国を背負う行政官達に与えられるのはなけなしの名誉。コンドームくらいに薄っぺらい老後の利権はもはや消えてしまった。

丸ノ内線や銀座線で目が合う死んだ目のサラリーマン。いやもはや虚ろすぎて目も合わない。

極めつけに、手取り二百数十万の保健士は24:30まで残業中だ。

明日は2日目。

やっていきましょう。

自意識と鳥瞰と信仰の話

起床は16時過ぎ。ほとんど空を見ておらず、晴れか曇りかはわからない。

ここ数日は遊び倒していた。強いて特別なことをしていたわけではなく、就活関係から遠ざかっていた程度の意味合いだ。

本を2冊通しで読んで追加で1冊買い、麻雀を打ち、ライブに行って飲酒。

本は森絵都の『カラフル』と、外山滋比古の『乱読のセレンディピティ』。

前者は、自殺した少年の体に前世で罪を犯した主人公の魂が乗り移るという小説。

後者は、文学者のエッセイと読書ハウツーを足して2で割ったような新書。

見に行ったライブでは、同い年だったり年下の人間が万単位の人間の前でハイパフォーマンス。緊張と高揚と多少の憑依が混ざり合って総じて楽しそう。

本もライブも、脳が自分の現状との結びつきを勝手に見つけ出してきて、かなり複雑な心境。勇気とやる気を貰えたが、同様に矮小な世界で鬱々としている自分に嫌悪感を抱く。

ならば何か変わったことでもやってみようと思うが、「21年成り行きで生きてきたお前に何か特別な才能があるのか?」と、自己批判によって、エンジンブレーキのように勢いがみるみる削がれていく。

最近分かったが、何をやっている時にも自己批判的というか、冷笑的な目線が拭えない。

人の目線は気にならなくても自分の目線は気になる、と表現するととたんに傲慢な気がする。

俯瞰的・客観的な視点と尊大で過剰な自意識は両立するらしい。

所感だが、むしろ好相性だろう。臆病な自尊心と尊大な羞恥心と書き表した中島敦は天才だと思う。

躁鬱の波が谷間にある時は毎回こんなことばかり考えている。

この葛藤を最短効率でぶち壊すには、熱烈な信仰が手っ取り早いはずだ。

特に信仰については、なんらかの超越的な存在を仮定することで謙虚さが得られ、その存在に許しを乞うことで自意識に蓋をすることができる。一石二鳥の手段ではなかろうか。

超越的存在は宗教に限らずなんだって構わないだろう。

問題は、こんなご時世、なんのきっかけも無く信仰を抱くのはとても難しいってことだ。

映画『沈黙』の後半でも描かれていたが、信仰は個人の内面の在り方の問題であり、そして、土壌のあるところにしか根付かない。

肥大した自意識をノックアウトするための信仰を獲得するには、自意識による自己批判に耐えなければならない。

まるでモンハンみたいだ。

あいつを楽に倒すための素材を得るためにはこいつを倒さなきゃいけない。こいつの弱点属性はそいつの素材の武器。そいつの弱点属性はあいつの素材の武器。

無限ループ。

結局プレイヤースキルと無属性武器の火力でぶん殴るしか無くなる。

適切な生活リズムと睡眠のことかな?

寝ましょう。

2/21

謎の敬体二人称スタイルが面倒になった。

半ば創作感想ブログ化しているため、ラフに差別化を図ろう。

今日は朝から新幹線に乗って東京へ。4時間睡眠では三社も回れば限界だ。先が思いやられる。

最初の目的地は青山。風がとても強かった。晴れていただけマシだったろうか。

そういえば常用リュックに差していた折り畳み傘がどこぞへ消えていた。物持ちは良い方だと自負しているが、傘に関しては3年保った試しがない。宗教は好きではないが、付喪神信仰はむげにできない気がする。

青山ではいわゆる自己分析を詰められた。志向性がネガティヴすぎるとのこと。自分が馬鹿正直に考えすぎなのだろうが、社会人の方々こそよく労働に絶望しないでいられるものだと思う。

ともあれ、一度人に相談してポジティブなモチベを錬成するなり、自分の労働への嫌悪感を完全に割り切るなりしなければ面接は奮わないだろうというのは納得できる。

おそらく前者は厳しいだろう。悶々としている間にも選考は進む。

躁状態とニコチンの合わせ技で短距離走的に乗り切ろう。

少ない読者の方には、面接前にアッパーにギアを入れる方法を募集したい。化学物質以外で。

そのあとは2社の説明会。今後のスカイプ対応の存在を祈るばかりだ。