学生読書日誌

ハッピーヘブンのふきだまり

主に読書感想文をかきます

映画『虐殺器官』ネタバレ感想

こんばんは。記事が途中で消えてかなり消沈してます。

2社を訪ねた後、青山のカフェからお送りします。

明日は某メガベンチャーの1dayジョブ選考なのですが、事前課題を放置して書こうと思います。宿題が積まれてる方がゲームが楽しいアレです。

先週土曜、インターンから帰った足で映画館に赴き、虐殺器官を観てきました。

今回はその感想を書いていこうと思います。

入学前から原作文庫は持っていたので、適当に対比しながらやっていきたいです。

さて、あらすじですが、9.11以降徹底した管理認証によってテロ排除を図ったアメリカと、それに反比例するように内戦、虐殺の巻き起こる後進諸国が主な舞台です。 主人公は米軍特殊部隊員クラヴィス・シェパード。彼は虐殺の糸を引いているとされる元言語学者ジョン・ポールの暗殺指令を下され、世界中を飛び回ることになります。 ジョンを追ってプラハに訪れるクラヴィス。ジョンの元愛人かつ監視対象のルツィアに惹かれながらも、彼女のスパイを継続します。 しかしある夜、同じくルツィアを張っていたジョンの協力者一味によってクラヴィスは捕まってしまいます。 目を覚ました彼が遭遇した人物こそ、暗殺対象ジョン・ポールでした。一人の人間が内戦の手引きなど出来るのかと詰め寄るクラヴィスに対してジョンが答える方法とは、人間の本能レベルの脳機能を逆手に取り、プロパガンダなどの言葉によって良心を麻痺させ社会を混沌に陥れる「虐殺の文法」と呼ばれるものでした。彼曰く、MIT時代の研究によって、人間社会が内戦等の混乱に陥る直前の言語の使用傾向が判明し、虐殺文法はそれを活用したものだと言います。 にわかには信じがたいクラヴィスですが、ジョンは至って正気です。そして、あわや殺されようかという間一髪で米軍特殊部隊のメンバーによって救出されますが、ジョンは取り逃がしてしまいます。 次の目的地は、ジョンによって内戦状態のインド領です。米軍が施した良心マスキングの効果で淡々無感情に少年兵達を撃ち殺していき、ジョンを捕らえることに成功するクラヴィスですが、ジョンの米国内通者の策により、またも取り逃がしてしまいます。 ルツィアやジョンとの会話や、軍事カウンセラーとの面談を経て、良心マスキングを施された自分たち兵士は、本当に自分たちの意思で戦場に立っているのか、自分のという疑念に苛まれながらも、クラヴィスは次なる戦場、ヴィクトリア湖沿岸部に向かいます。 そこで、ジョン、ルツィアとの邂逅を果たし、ジョンの真の目的を聴いたクラヴィスが取った行動とは…… と、いうところでクッソ長いあらすじを切ります。 これでも捨象したつもりですが、ストーリーが複雑でまとめきれなかったのでラストはご自身の目で、ということで。 では、感想行きます。 今回観て大きく感じたのは一点、あくまで原作『虐殺器官」の入り口として作られているなという印象です。 というのも、本作は根幹に関わる部分でわりと原作改変がなされています。 それは、クラヴィスの内面描写が大幅にカットされているところです。 彼は本来、交通事故にあった母親の延命治療を停止する決断を過去に行なっており、これが唯一戦場以外で自らの意思で命を奪った経験として、心に大きく後を引くことになります。その影響は、毎晩、地獄めいた戦場の中で母と対話する「死者の国」の夢を見るほど。 上述したような、ルツィアに惹かれたり、殺意の主体について悩んだりといったエピソードはあくまでこの経験あってのものであり、原作読者からするとかなり物足りないと言わざるを得ません。 (単に映画を見ると、クラヴィスがただのルツィアのストーカーに見えます笑) また、あらすじではぼかしましたが、このエピソードは結局クラヴィスの最後の行動にも関わるものであり、やはり何とかして描写してほしかったというのが正直な感想です。 とはいえ、2時間という制約を考えると、近未来ミリタリーやラブストーリーという軸に寄せながら、原作の主題を上手くほのめかして、未読者に入り口を作ることには成功しているのかなとは思いました。 (パンフを買ってみたところ、そもそも監督も原作の入り口として作った意図が大きいとのことで、それを踏まえるとまあアリだったのかなという感じ) というわけで、この映画を観るなら原作を読む前がオススメですね。 そこから少しでも興味が持てれば、原作を読むとより味わい深いと思います。 選考で脳が疲れたのか、綺麗な文が書けないので、尻切れとんぼっぽいですがこの辺で終わります。

弛緩

本日、参加していた某社のインターンが終了しました。

かなりの倦怠感を感じながら通っていたつもりでしたが、終わってみれば曖昧で漠然としたやりきった感のようなものが浮かんできます。

この、環境への順応性というか、喉元過ぎれば熱さを忘れる精神というか、そういう類のものはいずれ社会でやっていくための大きな武器になりそうです。

業界としてはほぼ興味の無い企業でしたが、その分気負わずに臨めたことで、自分にとって快適なポジションをはかることが出来ました。

ただ、ばっちり四月頭の予定を埋められたのには少し辟易してしまいました。囲い込みって都市伝説だと思っていたんですけれどね。

全く話が変わるのですが、最近情緒的な文章への憧れがつもりに積もってきています。顎くらいまで積み上がっています。そろそろ息苦しくて仕方なくなるでしょう。

誰に見せるでも無いこのブログが敬語調ベースなのも、今振り返ればそんな理由のような気がします。敬語調で迂遠な文体って洒落てる感じが漂いませんか?そうでもないですか。

睡魔が脳味噌をノックしています。リクルート式就活マナー4回ノックです。迎え入れざるを得ません。おやすみなさいませ。

インターン

現在、東京は日本橋近辺で某社のインターンをしています。

日本橋ではビル風がコートをひるがえし、申し訳程度にセットした髪は重力に反逆します。

5daysのタームで、現在2日目終了です。

こちらのインターンですが、思ったよりも負担が大きい。ワークの難易度が高い事もあるんでしょうけれど、喫煙所がビル内に無いのが一番しんどいです。

また、往復所要時間が約1時間半ともなると、1日の体感時間がかなり削られます。

8時半出社&20時退社は、(悲しいことに)割と一般的だと思うのですが、これで8時間睡眠を確保しようとすると、夕飯入浴を含めて余暇は2時間弱程度でしょうか。小説の一冊も読めやしません。

頑張って自転車通勤圏内に住みたいですね。

こうして書き起こしてみると、選社軸のようなものが少し見えてきた気もします。

まあ、仕事を「お金とプライドの満足を得る手段であり、根本的に面白くないもの」と定義すれば、という前提は必要ですけれど。

嗚呼、働きたくない。

あまり志望度が高くない企業で、参加には気乗りしませんでしたが、こうして振り返ると自分の本能的に望む働き方は見えてくる気がします。

何事も経験ですね。

煙草が足りないので終わります。

映画『沈黙ーサイレンスー』のネタバレ感想

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今日はテストからの現実逃避を重ねて、原作:遠藤周作、監督:マーティン・スコセッシの『沈黙ーサイレンスー』を観に行ってきました。

中々いい映画だったので感想書こうと思います。

時間もあまり無い時期なので、サクサク書いてきましょう。時間あっても多分今回は勉強しないけど。

さて、この映画は、1640年代、禁教令が施行され宗教弾圧が行われていた頃の長崎を舞台に、信仰と救いを巡って葛藤する、イエズス会神父ロドリゴを主人公とした歴史物語です。

<ストーリー>

ロドリゴとその同僚ガルペが、恩師フェレイラ神父が日本に渡った後棄教してしまった、という噂を伝えられるところから物語が始まります。そして、その真偽を確かめるため、神父2人はマカオの日本人キチジローを案内人として密入国を決行します。

隠れキリシタンの村で2人は布教に励みますが、ある日、奉行である筑後守井上の調査の手が回り、ロドリゴ達を匿うために、キチジロー含む4人の村人が人質に取られてしまいます。

それまでの日々で村人達の信仰の厚さに感銘を受けていたロドリゴは、「踏み絵より命を優先して構わない。あなた方の主への愛は本物だ(意訳)」と彼らを勇気づけます。その言葉に救われた村人の1人は、あなたにこそこれを持っていてほしいと、自ら作って拝んでいた小さな木彫りの十字架を託し、人質として出頭するのでした。

しかしキチジロー以外は、踏み絵をこなしたものの、ダメ押しに課されたロザリオへの唾吐きをどうしても出来ず、拷問にかけられて殺されてしまいます。

その後、役人の山狩りが本格化するとの情報を手に入れ、ロドリゴとガルペは二手に分かれて身を隠すことを選択します。

ロドリゴは、以前訪れた五島に向かい身を隠しますが、疲労と空腹で心身は限界。さらに、道中で合流したキチジローに裏切られ、ついに彼は捕らえられ投獄されてしまいます。

井上や、その部下の通辞(通訳?)はロドリゴに強く棄教を迫ります。

獄中の彼に対する井上の策は多岐にわたり、

・踏み絵を拒否した農民を眼前で斬首する

・別箇所で捕らえられたガルペに、「ロドリゴは既に棄教した」との嘘を伝えられ、また、海に落とされ処刑される信者達を救おうとして共に溺れ死ぬガルペの姿を見せつけられる

・本当に棄教し、日本人として暮らしていたフェレイラを通して、日本での布教の不可能さを説かれる

などなど……

また獄中生活で、キチジローが執拗にロドリゴに許しを求めに現れ、複雑な思いを抱きながらも彼の懺悔を聞いてやります。

こうした様々な試練を受けて、「なぜ神はこれほど切実な祈りに対しても沈黙するのか?」との懐疑を抱かざるを得ないロドリゴ

聖書の裏切り者ユダのごときキチジローの振る舞いもあり、ロドリゴは自分をキリストと重ね、なんとか信仰を保とうとします。

しかしある夜、井上の策によって棄教を宣言した農民たちまでもが逆さ吊りにかけられ、彼らはロドリゴの棄教によってしか助けてやれないとの言葉を下します。

異国の神父を精神的支柱として信仰を保ってきた農民の命は、その神父の棄教によってしか救われない。

善良で信仰心厚いロドリゴは、自らの信仰やこれまでの村での生活と、眼前の信者たちの命の救済とのジレンマに苦しみ、ついに踏み絵を敢行します。

その後はフェレイラのように、日本人名を名乗り、日本人の妻と子を持ち、キリスト教の弾圧政策に協力(もちろん消極的でしょうが)しながら生活し、死後も仏教式の火葬によって弔われていきます。

しかしラストシーン、棺の中に納められ燃えていくロドリゴの遺体の手の中には、かつて村人に託された木彫りの十字架があったのでした……

<感想>

ストーリーを要約すると死ぬほど長くなってしまいました。誤算です。

ここで手短にいって帳尻を合わせましょう。

気に入ったディテールを挙げていくと文量やばいので、厳選2つで。

1."沈黙"の演出

この映画、タイトルを活かした演出として、完全に無音になるシーンが3つ存在します。

映画冒頭、環境音と共にプロダクションロゴが流れていき、題字("Silence")が出る瞬間に合わせて一気に静寂が訪れます。

ここで、黒字に白文字の題字の迫力と、無音の映画館の奥行きのようなものに圧倒され、上映1分と経たないうちに映画に引き込まれました。

また、クライマックスのロドリゴが葛藤の末踏み絵をするシーンでも、この演出が使われます。

音がなくなり、極限状態のロドリゴが踏み絵に描かれたキリストから「私は沈黙に甘んじていたのではなく、あなたと同じ苦しみに打ち震えていたのだ。さぁ、踏むが良い」との言葉を聴き出し、足をかけた瞬間に時の流れが遅くなる。

無音&スローモーションってわりとポピュラーだとは思うんですが、それまでの迫真の描写からのこの演出には、思わずため息をついて、画面に目が釘付けになってしまいました。

3つ目はラストシーンのスタッフロール後なので割愛。

2.キチジローの葛藤

上述あらすじでは、ただの厚かましい裏切り者にしか見えない(笑)キチジローですが、彼は結局棄教した後のロドリゴの下にも、召使いとして付き従います。そこでも、もはや神父でなくなったロドリゴに対して告解の機会を求めるのです。

また、彼はマカオに流れ着く以前、家族が踏み絵に失敗し火あぶりにされることが決まった後、踏み絵を課されますが殉教する覚悟が持てず、公衆の面前で神を否定しています。

棄教宣言と懺悔を繰り返しながら、信仰に殉じ死ぬことも出来ず、かといって根本の信仰心や、良心の呵責、罪悪感を完全に捨て去ることも出来ない。そんなどうしようもなく小市民的で、人間臭いキチジローの姿に心が揺さぶられてしまいました。

特に気に入ったセリフがうろ覚えですがこれですね。

「俺は家族たちと違って弱くてどうしようもない人間だ。殉教出来るような強い人間にはなれなかった。こんなどうしようもない世界で、弱い人間の居場所はどこにあるのでしょうか」

自分の命が何より大切ながら、帰依したキリストの教えを捨て去ってしまえば、生きる指針を失ってしまうが故に捨てられない。そんななんとも言い難い弱者の葛藤が見ていて辛かったです。

しかし、パンフを見たところキチジロー役の窪塚洋介さんが、インタビューで「彼は本当に弱い人間だったのだろうか。自ずと生じる信仰心を信じ続けるのは、己の心を信じるという心の強さの表れと言えるのではないか」と話しており、そーゆー見方もあるのかと膝を打ちました。

さて、短くまとめきれませんでしたね。まあしゃーない。

いかがだったでしょうか。余談ですが、この映画で人生初パンフを買いました。優良学生の皆さんはテスト後是非見に行ってみて下さい。

僕は不良なのでテストをブッチし、そのまま明後日のテスト勉強をほっぽって行ってきました。

全部棄権が現実的になってきましたが、まあ8回のうち1回くらいお休みしてもいいでしょう。就活は死ね。

ではまた。

リクルートの通年採用、入社パス導入ニュースを見て

お久しぶりです。

テスト勉強からの逃避に、新宿のガストから投稿しております。

今回は、ワークスアプリケーションズインターンオリエンテーションで帰省し、東京を中継して、夜行で帰宅というスケジュールを組みました。

交通費が出るとは言っても中々しんどいものがありますね。年末の自分を恨みます。

さて、ブログを始めたはいいものの、ぶっちゃけ就活の話よりも読んだ本や見た映画の話の方がよっぽど書きやすいということに気づき、時間的に、最近新しいインプットも無いので放置しておりました。

そんなおりに、就活に関係する、(主に不愉快の)琴線に触れるニュースを見たので、久々に書こうと思います。

最近FBで、リクルートグループの某社(社名忘れた)が、新卒一括採用を廃止し、通年採用と入社パス制度による「新・新卒就活」なるものを導入するとの記事を読みました。

以下詳細。

https://www.recruit-lifestyle.co.jp/news/pressrelease/others/nw22574_20170123

第一感、「ワークスのパクリやんけ笑」という感じです。

SPIだの就活マナーだの、現状の死ぬほどかったるい日本の就活制度形成に少なからず関与していながら、今更になってこういう舵取りをしても、正直プラスの印象はあまり持てませんね。

ここ最近の、今までリクルートを見ていたような学生層がベンチャー外資を向いている状態に焦りを覚えたのかと邪推してしまいます。

まあ、私が悪印象を抱く背景は、リクルート関係者が醸し出す浅からぬ選民意識と、今の就活という枠組みそのものに対する嫌悪感がベースです。(今までのGD経験からして、学歴採用は個人的に正しいと思います)

要するに主観なので割り引いて下さい笑

ただ、アンチ就活な大学生のポジションを外れて考えて見ても、やっぱりリクルートとしてこういう策を取るには出遅れてしまっている感じはありますね。

「なんかよーわからんけど先進的でイケてる企業」としてのブランドを保つには、「時流に乗ってる感」を感じさせたら終わりではないでしょうか。

全く余談ですが、このニュースを見てリクルート関係でググってみたところ、就活系の2chまとめでリクルートが「人生に寄生する害虫」とか書かれてて流石に笑いました。

顔も名前も知りませんが、共に頑張りたいものです笑

と、所感はこんなところでしょうか。

あー、セメ切りが見える……

面接の前に『この世界の片隅に』を観てきた

今日面接の前にピカデリーで観てきた『この世界の片隅に』の感想でもかるーく語ろうかと思います。

ネタバレです。


個人的に、太平洋戦争を題材にした作品って過度に自虐史観に寄って描かれてるか、ミリオタ的視点で茶化されて描かれてるかのイメージで、いずれにせよあんまり食指が動かないのですが、Twitterの評判に惹かれてふらっと観に行くことにしました。

5時に着いて15時から面接。時間は有り余ってました。地方就活生の辛さ。


そんな感じでまあつまんなくはねーやろ程度の気持ちで観たわけですが、期待を上回ってくれました。

あらすじを端的に言ってしまえば、主人公すず(CV能年玲奈)の、戦時中の広島での生活を描いたアニメです。

なんだかんだイデオロギー的なメッセージが有るんやろなと思いつつ観ていましたが、逆にゾッとするほどに淡々と戦争を描いています。まるで台風や大雪なんかのようです。

姑と打ち解けるのに試行錯誤し、さながら地方民が東京に行くノリで闇市へ繰り出し、微量の配給を主婦の知恵でやりくりしと、呉の家に嫁いだすずの日常が繰り返され、あぁこの時代の一般庶民ってホントにこんな感じだったのかなぁと思わせてくれるようなリアリティがありました。

私はこの辺のシーンを、星野源の『恋』の、「意味なんか無いさ 暮らしがあるだけ」というフレーズを思い出しながら観ていました。余談ですがこれは本当にいい曲ですよね。星野源といえばサブカルクソ女みたいなちょっとしたマイナスイメージが有ったんですが、これ聞いて彼の死生観みたいなものがくっきりと浮かび上がってきて、純粋にすげぇなと思いました。


そんな命の強さみたいなものを感じさせながら何とか日々を営むすず達ですが、やはり舞台は戦時中であり、兄や姪など身近な人間の死が唐突に突きつけられます。ニュースで見ていた自然災害に自分たちも巻き込まれていくような、じわじわと非日常が日常に侵食してくるような嫌な感じが湧いてきます。

そんな中でもすず達は、何とか折り合いをつけながら日常を維持しようとするのですが、その姿はとても健気で、日々の営みの尊さみたいなものが感じられました。

この辺で一番好きだったセリフが、「使えるものは何だって使って生きてやるのが私らの戦いだ」というすずの言葉で、彼女の"どこまでも普通であり続ける"強さを象徴したような言葉だと思います。


そして、まさしく嵐が過ぎ去るかのように、自分たちの手の届かないところで戦争は不意に終結します。

侵食してくる非日常と戦い続ける毎日に、突然日常を投げ返されました。多くを失った実感や肩透かしを食らったようなやりきれない気持ちをないまぜにして、すずは映画中初めて慟哭します。戦争という理不尽な暴力に嘲笑されたような、そんな悔しさみたいなものが凄く迫ってきて、観てて一番辛かったです。


戦争が終わり、占領が始まってからは、残った人々の復興に向けての営みが描かれます。

人々に消えない爪痕を残した戦争ですが、それでも生活は続いていきます。全部引きずって、それでも生きていく姿にはどこか美しさすら覚えました。


とまあ以上ざっくり筋を追いながらの感想です。

私はここ数ヶ月自分の生き方、生きる意味みたいなことを考えざるを得ない状況におりまして、そんなタイミングで、この、"ただ生活を営むこと"の鮮烈さで殴りかかってくるような映画を観れたのは良かったと思います。

最近思うのですが、強烈な理不尽や挫折、歪みみたいなものを抱えながら、それでも生活していこう、前に進もうとする人たちのあがきって本当に魅力的だと思います。上で星野源の話をしましたが、あの歌詞は多分彼が闘病経験を抱えてないと書けないと思います。

思ったより長くなりましたがこの辺で終わります。

私も足を止めずに、日々を強く生き抜いていこうと思います。


ちなみに面接はフツーにコミュ障発揮したんで落ちそうです。おわり。

ブログ始めました

1/2の事始めにあやかりまして、文章力のささやかな向上と日々の振り返りを目的に、ブログなるものを書き始めてみようかと思います。

FBやTwitterではしがらみが多くて出来ないが、どこかに自分の内面を文章に残したいという、私の臆病な自尊心を上手く満たしていきたいです。


とは言っても今のところ三日坊主になる予感しかしませんが、「Twitterより文字数多けりゃ良いや」の精神で、気楽にやっていきましょう。


さて、事始めと銘打って開設したは良いものの、この記事を書いている時点ではもう1/4日、深夜の佐野パーキングエリアです。

現在、某人材系ITベンチャーインターン面接と、サマーでお世話になった会社のセミナーに参加するために、高速バスで上京している道中になります。

両者ともそこそこ魅力的で、今朝某大手のESを寝ブッチして自責に駆られていたばかりではありますが、今は結構ワクワクしています。単純なメンタルです。

コミュ力をブーストして良いパフォーマンスをしたいですね。


半ばではありますが、一応今回のお題が「2017年にやりたいこと」という題目らしいので、それらしいことも書き添えておきます。

(はてなブログには自動でお題を設定してくれるシステムが有るらしい。便利)


さて、やりたい事ですが、

ズバリ"身の振り方を決める"というところでしょうか。

要するに行きたい企業の内定を勝ち得るということなのですが、こっちの表現の方がしっくり来たので、そういうことにしておきます。

「やりたいことが特に無いから、選択肢の広い進路へ」と思いつつ、2回の受験を乗り越えて来た私にとっては、否が応でも不安で、隣の芝も常に真っ青な状態が続くでしょうが、「私の前に道はない、私の後ろに道はできる」という強い気持ちで就活を進めていきたいですね。


あ、あとブログも更新続けたいです。

終わり。